新宿のシネマカリテで毎夏行われていて、そして残念なことに10周年の今年が最後の開催になってしまうカリコレの今年一発目でした。
カリコレは基本的にはビデオスルー(今風に言えば配信スルーか?)になってしまうようなマイナーなジャンル映画とか、そういうジャンル映画の過去の名作の再上映などをしてくれるありがたい映画フェスなのでありますが、すでに一般上映が決まっている映画のプレミア上映的な感じでいち早く新作を観ることができるというパターンの上映もあったりする。本作『#スージー・サーチ』はそのパターンですでに8月9日から順次全国公開が決まっている映画なのである。ですからね、まぁ割と無難に面白い映画でありましたよ。普通はスクリーンではかからないような映画をっていうわけじゃなくて、すでにある程度の期待を持たれてるような作品なわけですからね、去年のカリコレで俺が観た『クリスマス・ブラッディ・クリスマス』とか『江南ゾンビ』とかよりは一段か二段くらいは上の作品だったわけですよ。
ただ本作のあらすじを見たときには正直、またこれか…、とは思った。本作の主人公はタイトルにも名前がある高校生のスージーちゃんで、彼女はポッドキャストで未解決事件に関する配信などをしているのだが反響はほぼゼロという手応えのなさ。そんなある日同じ学校のインフルエンサーの男子生徒が失踪する事件が起きる。これはバズるチャンス! とばかりにその失踪事件を追うスージーちゃん。そしてなんと彼女は失踪した男子生徒の居場所を突き止めてしまうのだ! さらに彼は自分の意志で失踪していたのではなく何者かに拉致監禁されていたらしい。その犯人までは突き止められなかったが何にせよ一人の人間を救出(しかも同じ高校の同級生)したスージーちゃんは一躍ヒーローとしてマスコミからも注目を受け、彼女の配信も大盛況となる。しかしそんなスター街道に乗ったスージーちゃんの周囲では男子生徒の拉致監禁事件の犯人によるものと思われる不穏な出来事が立て続けに起こり、名探偵として祭り上げられたスージーちゃんがその事件の真相に挑むのだが…というお話ですね。
このあらすじを見るとネット上で集められる情報を元に推理を進めていく安楽椅子探偵モノって感じの天才少女探偵のお話しという感じがするであろう。ま、それはそれでいいんだけど上記したように、またこのパターンか…と俺が食傷気味に感じたのは、またSNSによるいいね! の数が代表するような承認欲求やバズりの快感に狂わされた若者の話か…と思ったからなのである。というのも予告編を見れば一目瞭然だが本作はストレートな探偵モノとかサスペンスってわけではなく、予告の謳い文句でも「バズりが狂気を呼び起こす!」とか「SNSの闇を風刺している」と喧伝されているようにSNSに毒された若者の悲喜劇っていう感じなんですよね。まぁぶっちゃけその手の作品はここ4~5年くらいで大分見飽きたなぁ、というところなのでまたその手の映画か…となってしまったわけである。
実際その辺のSNSに毒された若者の狂気、みたいな部分は正直予想外な展開でもなくて、というか予告編の時点でかなりその展開を示唆しているので予告を見た人の5~6割はやっぱそうか~、ってなったと思うんだけど本作はスージーという主人公のキャラクターというか、彼女がそうなったきっかけの描写がちゃんとあって、そこがスケールを小さくすればわりと誰にでも当てはまりそうな普遍性があったので面白かったんですよね。
ま、そのおかげでかなりオチは読めてしまったのだが、ネタバレに配慮して書くと幼き日のスージーちゃんは母親に読み聞かせしてもらうのが大好きな子供で、母親は推理小説が大好きだったからそういうミステリもののお話をよくスージーちゃんに読んでたらしいんですよね。そしたらスージーちゃん、やたらと犯人を言い当てるわけです。すわこの娘は天才探偵の素質があるのではと褒めまくるお母さん。もちろんスージーちゃんは母親に褒められて超サイコーに気持ちよくて自己肯定感爆上がりってなもんです。その幼少期の経験が元になって未解決事件の考察とかを配信でやる動機になっていくわけで、その行き着く先っていうのが本作の物語の結末なわけだが、これはそのことによって巻き起こされた事件の大きさに目を瞑ればスージーちゃんの行動原理としては多くの人が自分のこととしても思い当たる節がある心理なのではないだろうかと思う。
というのもですね、これは作中でハッキリとした描写はなかったと思うのでネタバレではなく俺の解釈として書くけれど、多分幼少期のスージーちゃんは母親が読み聞かせてくれるミステリ系の物語に対して事前にカンニングをしていて予め犯人を知っていたんだと思うんですよね。なぜそんなことをしたのかというと母親が褒めてくれたから。これは俺にもほぼ同じ経験があって、ガキの頃に兄弟と一緒に漫画の『金田一少年の事件簿』にハマっていて犯人当てに夢中になってた頃があるんですよ。ただウチでは週刊マガジンは買っていなくていわゆる単行本派だったんですよね。だから一ちゃんが「謎は全て解けた!」という決め台詞を発した直後に次巻に続いた場合は3カ月くらい真相がお預けになる。そして正にそういうタイミングで次巻に続いたときがあったんだけど、ちょうどそのタイミングで俺は風邪をひいて母に連れられて近所の小児科に行ったわけですよ。そしたらその小児科の待合室にあったわけだな、解答編が載っているマガジンが。たまたまそのマガジンを読んでしまった俺は当然の如く家に帰ってから兄弟に「この事件の犯人はコイツだと思うよ」と言うわけだ。んで数か月後に新刊が出たら、カンニングしてんだから当然俺の推理は大当たりで、お前スゲーな! ってなるわけですよ。あの時の気分の良さは今でもはっきり覚えてる。それと同じくらい虚しかったのも覚えているが。そういうことは多分、結構多くの人が経験しているのではないだろうか。要はあらゆる意味でのイカサマをしたことがあるかどうかということだが、誰かに褒めてもらうためにそういうことをしたことがある人はかなり多いだろう。ある意味では誕生日とかに恋人が欲しがっているものを直接は聞かずに共通の友人とかから間接的に聞き出してリサーチしたうえで「君が欲しがってるものくらい分かるよ」とそれをプレゼントすることだって同じようなことだと言えるだろう。それが悪質かどうかの差異はあれどそういうことをしてしまうのはそこまでおかしいことではないと思う。ただ俺は『金田一』でカンニングしたときは虚しさも感じたから道を踏み外さなくても済んだけどどスージーちゃんはそうではなかったんだろうな。
そこの部分のおかしさと悲しさがある映画だったので、よくあるSNSの承認欲求で狂ってしまった! というものよりはもう一味深い味わいがある映画でしたね。とはいえさすがにそこはちょっとご都合感を感じるなぁ、というような部分もあったので細部まで完璧ってわけではないし、上記したようにオチもかなり読めてしまうのだがそれでも十分面白かったとは思いますね。特に10代の子供の反面教師として観せるのはいいのではないだろうかと思う。
ちなみに個人的にスージーちゃんのキャラクターは大好きです。人間的にはどうかと思うところはかなりあるが強く生きてほしいと思いますね。身近にいてほしくはないけれど…。