フレデリック・ワイズマンの足跡特集15本目。
本作も『ボクシング・ジム』というタイトルから分かるように「ワイズマン、ボクシング・ジムを撮る」としか言いようのない作品であります。解説によるとテキサス州オースティンにある元プロボクサー、リチャード・ロードが開いたボクシング・ジム「ローズ・ジム」が舞台なのだという。そのジムを舞台にしたドキュメンタリー映画ですね。
しあkしボクシング・ジムとは言ってもバチバチにプロを目指しているような人は(いるにはいるのだろうが)本作ではほとんど描かれずに、もっぱら被写体になるのは老若男女問わない様々な人々で、それもおそらく近所の人たちである。ダイエット目的なのか午前中に主婦の人が汗を流したり、夕方には仕事帰りのおじさんが健康のために身体を動かしたり、他にも医者、弁護士、裁判官、ビジネスマン、移民、それに地元のちびっ子も含めて性別も人種も様々な人たちが決して広くないジムの中で共に運動をしているのである。運動ばかりではなくそこは一種の社交場のようにもなっていて、世間話だったり人生相談だったりが行われるコミュニケーションのための場所にもなっているのがとても面白かったですね。その姿というのは正に人種のるつぼたるアメリカ社会の縮図のようで、あぁワイズマンはこれを撮りたかったのかぁ、と思いました。
ちなみに本作を観る前に同じくワイズマンの『パリ・オペラ座の全て』を観ていたのだが、そちらでじっくりと世界最高峰のダンサーたちの肉体を描いたのと対比するように本作でもアメリカの片田舎の一流でも何でもなくましてやプロですらないちょっとボクシングジムで汗を流している人の、しかしそのようにまったく階層は違うが同じく肉体を描くというテーマはあっての二本立てだったのかなとは思いましたね。余談だが『パリ・オペラ座の全て』の感想文を書いていないのは、俺のフィルマークスでの映画感想文を書く基準が“初見かつ映画館で観た作品”なんだけど『パリ・オペラ座の全て』は初見ではなかったので感想文を書く条件からは漏れるということで書きませんでした。
でもこの二本立てはシナジーがあったな。さらに言えば肉体を描くという意味ではこの後に観た『クレージーホース・パリ 夜の宝石たち』がまたしても『パリ・オペラ座の全て』や『ボクシング・ジム』とシナジーのある作品だったのだが、それはまた後ほど書くとして、本作では同じ人間の肉体が被写体になっているとはいえ、上記したように世界トップクラスのバレエ団ではなくてアメリカの片隅で様々な社会的階層の人たちが集まる庶民的なボクシングジムっていうのが単なるその場の光景を描いているだけでなくアメリカの社会が透けて見えてくるようでこっちの方がやっぱりワイズマンだな! って感じで面白かったですね。まぁ『パリ・オペラ座の全て』もバレエ好きとしては見どころしかなくて良かったし、アメリカだとどの都市行っても道路とそこを走る車ばかりを撮ってるワイズマンが、パリだと建物とその屋根ばかり撮ってるのが面白いというのもあったんですけどね。アメリカは道路でヨーロッパは建物ってことなんだろうかなとか思っちゃうよね。
まぁそれはともかく、本作ではボクシング・ジムという場が肉体を鍛える場として以上に社交場として機能している感じが面白かったなぁ。世間話しながらトレーニングしてるおっさん同士の仲良さそうな感じとかめっちゃいいんですよ。あとは編集のリズムが今までになく音楽的なのも良かったな。ボクシングのトレーニングといえばだけどサンドバッグを叩く音やミット打ちの音やパンチングボールの音なんかが非常にリズミカルで、また本作はその音のリズムに合わせてなのかワイズマン作品としては異例なほど細かく多くのカットを刻みながら積み重ねていくというものになっていた。それがまた被写体たるジムで運動している人たちの肉体の動きと重なって小気味よく映っているんですよね。
アメリカという社会の縮図としての田舎のボクシングジムというのは明らかに狙っているとは思うのだが、YouTubeにあるような料理動画とかのASMR的なリズミカルな心地よさがある映画でもありましたね。音と映像のリズムがピッタリという点でもまた『パリ・オペラ座の全て』とは兄弟作のような感じもしたな。
あと印象的だったのはバージニア工科大銃乱射事件が取材中に発生していてアンタの知り合いは巻き込まれてないか? というやりとりが後半にあったことですかね。本作の取材中にそのような痛ましい事件が起きたことはもちろんたまたまであろうが、しかしこれは暴力という点でいくとスポーツとはいえ殴り合いをするボクシングという競技と並行して無差別な銃乱射事件(しかも容疑者は自殺)が行われてそのことについて、ある種和やかに世間話としてボクシングジム内でそのことが話されているというのはスポーツ競技として厳格なルールやシステムがあるものとしてのボクシングはワイズマン作品的に言えばやはりコントロールされた社会そのものでもあり暴力ではあってもそれはきちんと抑制されたものであること、そしてそこから零れ落ちたものがコントロール不能でルールやシステムで抑えきれない暴力そのものである、というのが浮かび上がってくるのは本当にたまたまその事件が起きただけなんだけど、結果的には本作により深みを与えていたとは思う。
まぁでも基本的には近所の社交場大事だよね、肉体への敬意とそれをメンテナンスするのも大事だよねっていうわりと緩めなドキュメンタリー映画ではあったと思います。面白かった。