津久井やまゆり園の事件は忘れもしない
あのニュースが出た時に多くの人は犯人のことを「自分とは全く違うやばい人」「なんでこんなことをするのか理解できない」「犯罪者は人間じゃない」というように別人種として一線引いてものを申していたように思う。
私は当時大学3年生だったのだけど、
このニュースを見た時の自分の心に生じたものは忘れない。
いつも事件を見て思うのは、
犯行に及ぶか及ばないかなんて、そこに大きな差はなくて、環境と、タイミングと、きっかけが合えば誰だってその線を越える可能性はあるってこと
小さかれ大きかれ、きっかけになる感情は持ち合わせているということ
自殺してしまうことも同じことだと思う
命をなくすという意味では
中絶も同じことである。
生かすも殺すも自分次第、その選択肢があること。迷う余地があること。
さとくんは心優しかったはず。元々は。
同僚たちの「先生にでもなればよかったのに」がほんとうに、環境に左右されることがよくわかる。
よくないんだよ、よくないんだけど、あの同僚たちのように、「さとくんほどの考えに至らない」ための日々の発散が、必要悪だったとすら考えられてしまうよ。いや、よくないんですよ。もちろん。
でもじゃああれが許されるの?
そうゆうやつが1番嫌いなんだよ。
自分の命かけてやるんだよ
という言葉に
切なくも説得力を感じてしまって
生きたいかどうかとか
幸せかどうかなんて本人にしかわからないんだけどね。辛いね。
希望が見えないって辛いんだよね。
人ってなんでしょうか。
あと、役者がみんな好き。みんなうまい。
2023年ー37本目
劇場ー26本目