のび太VS"ノイズ"という抽象概念
映画ドラえもんシリーズ43作目は音の混ざり合う交響曲の強さを体現した新感覚のSF作。例のごとくドラえもんのひみつ道具を勝手に使ったのび太の手違いによって音楽のない世界が訪れてしまう。それがきっかけとなって"ノイズ"が侵入し、地球全体に不協和音をもたらしてしまう。
冒頭から「2001年宇宙の旅」かと思う壮大な始まり方、「ファンタジア」のように音に合わせたカラフルな万華鏡が展開されて気合が入っている。そんな今作のプロットや設定は攻めていて、そして難解だった。大オチのダイナミックな科学的飛躍もさることながら、"ノイズ"と戦って勝ち得ようとする"ファーレ"なる概念がいまいちピンとこないのはある意味"ノイズ"も音楽を構成する要素の一つなので、そこの対立構図を飲み込めないことがある。
このように抽象的な表現が多い一方で冒頭で提示される「音楽のない世界」の表現が意外とパワープレイで、音楽そのものの存在は認知されているが奏でられないもどかしさにフォーカスが当てられている。それよりは音楽を構成するハーモニーやリズムの概念が存在しない世界の方が音楽がないことへの恐怖を与えられたのではないかと思う。
また、冒険譚としても微妙に思える。個人的にドラえもんの見どころだと思っている長距離の移動やサバイバル要素、時空を超える感覚は今作では希薄でコンパクトな戦いに終始してしまっている感覚を持つ。
もちろんミッカとチャペックをはじめとしたオリジナルキャラクターや世界観には独創性があり、そのアイデアから飽きることなく観られる。なにより、本作のメッセージを含んだ終盤の展開はシンプルながら力強い。
ところで、本作の"ノイズとファーレ"の関係性について考えていくなかで、美メロ系の音楽とノイズ音楽どちらも手がけるルー・リードやエイフェックス・ツインや大友良英はどちらに属するのか、そんな発想を広げていくのも楽しい。