ワンダフルデイズモーニング

サンタクロースの眼は青い 4Kデジタルリマスター版のワンダフルデイズモーニングのレビュー・感想・評価

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 「楽しい中央線」だったか、やまだないと先生が「西荻はパリに似ている」と言っていて、当時のボクというのは東京にはなんてオシャレな街があるんだと思ったものだけど、西荻の街並みが実際パリと似ているかどうかはともかくとして(インタビュー当時とはきっとそれぞれの街も様変わりした)、後半のシーンに完全に甲州街道じゃんみたいな場所が映されていて、西荻ではないんだけどそれでそのインタビューを思い出した。あと、主人公の男がナンパして呼び出した夜の労働会館は、西新宿の横浜銀行の入ってるビルないし都庁にしか見えない。なんならサンタクロースのバイトをしてる場所の街並みも新宿のアディダスの店頭前に見えた。
 それで思ったのは、現代日本とくに東京で映画を撮るにあたってどうしてもぶち当たる「あの時のあそこじゃん問題」、つまり東京・都心であればあるほど舞台風景が匿名性を獲得することの難しさ、「ある時・あるところに」を前提に求めんとするフィクションの背景に限定された時期の限定された場所が映ってしまう煩悶を打ち破る手段のひとつにはモノクロームがあるのかもしれないということ。こまかな色や明るさで明瞭にはがされていく匿名性を守る方法に、ローリングストーンズ・イズムが有効なのではないかということ。やってみなければわからないけど、やる価値はあるね。やってみてダメでもそれはそれだ。何かしら別の手を考えればいい。ナンパと同じだ。

 ラストシーンの合唱は、なんかつげ義春の漫画みたいだなと思ったがそれはともかく、あの画面の奥へ消えてゆく男たちの合唱こそが「ナンパ映画」には、どこか──それは別にラストシーンでなくともいいが──とにかくナンパ映画はああいう肩を組むなりに表象される下世話な連帯が必要と確信した。
 ナンパも職権濫用して女の子触るのもドーテーなのもフラれるのも貧乏も全部一切かっこいいものでもかわいいものでもなんでもない。うだつはあがらず、みっともなく、陰湿で、下心にまみれ、なさけなく、つらく、苦しい。画面の外側の世界に愛玩されてたまるか。おしゃれなカッコかコスプレしてたら近寄ってもらえるかもってのは、すっぴんの自分じゃ興味持ってもらえないってことだ。部屋に連れ込めても結局は裸になるんだから、遅かれ早かれセイコウには至らず、どうせ失敗する。この虚無感がクリスマス年末年始には、その煌めきとの対照でまじでクッキリしてくる。きついね。
 ダッフルコートさえ着たらなんとかなるんだってのは、俺もティーンネイジャー時分に「人のセックスを笑うな」を観た時そう信じたね。