興行的に惨敗したらしいが、まあそうやろなという印象。ジャン・ユスターシュの思春期の記憶、特に性の目覚めがテーマになっている。セリフは少なく、あくまで出来事を淡々と見せる感じ、ブレッソンに近いようではあるが、アプローチの仕方が違う。ブレッソンは声の調子や動き、音楽を必要最低限に削ぎ落としてピュアな物語を見せようとするが、ユスターシュはあるがままにそこで起こったことを記録すること(本作の場合キスの場面はあくまでキスという行為を客観的に写すため、ほとんどが後ろから撮られている)にこだわっている。前者は徹底的に作為的で、後者は作為からなるべく逃れようとしている。そこでたどり着いた両者の作風が似てくるのは興味深い。根底にリュミエール崇拝があるのだとおもう。言い換えればリュミエールへのアプローチの仕方がそれぞれ違うだけで、目指す先はリュミエールであるという感じ。
本作がユスターシュの長編遺作であることが非常に切ない。ブレッソンは徹底的に自分の哲学の基、作品を量産したが、この時のユスターシュはまだ定まっていない。トリュフォーやロメールとかヌーヴェルヴァーグ連中のスタイルを引きずって、大衆に寄せている感じがある。個人的にはその折り合いの付け方が観ていて興味深かった。なので、監督にはこの先ももっと劇映画を撮ってほしかった。階段の登り途中で終わった感が半端ない。