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アデュー・フィリピーヌ 2Kレストアのukigumo09のレビュー・感想・評価

4.0
1962年のジャック・ロジエ監督作品。彼はIDHEC(高等映画学院)卒業し、ジャン・ルノワール監督『フレンチ・カンカン(1954)』にインターンとして参加する。その後テレビ局でアシスタントとして働き、そこで効率的な撮影のノウハウに感銘を受ける。テレビ局で貯めたお金でフィルムを買い、『十代の夏(1955)』という短編作品を撮る。田舎の小さな村で少年が学校をサボり川で遊ぶ様子が瑞々しく描かれた作品で、撮影のスタイルなどから、ヌーヴェルヴァーグの最初期の作品と見做されることもある作品だ。これを元手に次の短編『ブルー・ジーンズ(1958)』を撮る。これを観たジャン=リュック・ゴダールは「最も瑞々しく、子供のように純粋で、若くて感じのいい映画だ」と称賛している。ゴダールは1960年に『勝手にしやがれ』で映画史に革命を起こすのだが、その時にプロデューサーのジョルジュ・ド・ボールガールから期待の新人監督を問われ、ジャック・ドゥミ、アニエス・ヴァルダと共にジャック・ロジエの名を挙げている。これがきっかけでジャック・ロジエは長編第1作『アデュー・フィリピーヌ』を撮ることになる。1960年に撮影された作品だが、録音など技術的問題、編集をめぐる対立、プロデューサーが変わったことによる配給の問題などが重なり1962年になってやっと完成に漕ぎ着ける。

ミシェル(ジャン=クロード・エミニ)はテレビ局のアシスタントとして働くパリの若者だ。彼は2ヶ月後に兵役を控えている。この作品の頃の兵役とはアルジェリア戦争を意味している。当時フランスではアルジェリア戦争はタブー視されていて、ゴダール監督『小さな兵隊』のように間接的にでもアルジェリアを描くと打ち切りになってしまう作品もあった。元々ロジエは本作をアルジェリアに派遣される新兵の話として構想しており、戦争の激化と長期化で実現が困難となり、若者たちの恋愛コメディとなった経緯がある。本作では兵役から帰ってきたデデ(ピエール・フラグ)というミシェルの友人を家に招くシーンがあり、久々の再会に盛り上がるのだが、(戦争について)聞かせてくれと言われても言葉を濁し沈黙を貫く場面の異様さが、当時のアルジェリアをめぐる重苦しい雰囲気を感じさせる。
ミシェルは撮影所に見学に来ていたリリアーヌ(イヴリーヌ・セリ)とジュリエット(ステファニア・サバティーニ)を招き入れ、彼らの友情が開始する。彼ら3人は怪しげなプロデューサーのパチャラ(ヴィットーリオ・カプリオリ)の作るCMに雇われることになる。CM撮影では何度もNGを出すリリアーヌとジュリエットが可愛らしいが、映画の商業的側面のメタファーとしても機能している。
彼女たちがパリの街を軽快に散歩する長く滑らかな移動撮影は、言いよる男たちを巧妙にかわしながら街中をはしゃぎ回っており、バックで流れている音楽の効果もありダンスを踊っているようなリズム感があり名シーンとなっている。
ミシェルは生放送の歴史ドラマでスタッフとして働いていたところ、Tシャツにジーパンという現代の服装で映り込んでしまい、上司に叱責される。兵役まで時間がなかったのでミシェルは仕事を辞め、コルシカ島で休暇を楽しむことにする。リリアーヌとジュリエットも後を追ってコルシカ島にやってくることにより、ロジエ的ヴァカンス映画へとなっていく。女同士の友情はミシェルをめぐる嫉妬へと変わっていく。しかしミシェルはどちらかを選ぶということがなかなかできない。本作のタイトルは対になったアーモンドを分け合った2人が次に会った時に先に「ボンジュール・フィリピーヌ」と言った方が勝ちというゲームに由来するのだが、ミシェルにとってリリアーヌとジュリエットのコンビはアーモンドのように簡単には分けられないのだ。
ミシェルは召集令状を受け取り、本土へ戻らなければならなくなり、ヴァカンスは強制終了となる。映画のラスト、埠頭で見送るリリアーヌとジュリエットが離れていく船を追いかけて走り出すシーンは映画史に残る名場面と言えるだろう。
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