本を読むたぬ

市子の本を読むたぬのネタバレレビュー・内容・結末

市子(2023年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

本当にいい作品だった。

帰ってきた母の言葉・ふるまいからは彼女が市子のことを本当に愛していたことが伝わってきた。長谷川くんとの出会いのシーンはすごくきれいで、彼との日々は彼がそのままの市子を受け入れ大切に思っていたんだなと。市子の語りはキキのように彼女自身の境遇に後ろめたさを感じない、それでいてキキほど彼女から遥か遠いタイプの人格でない相手との日々を幸せに感じてたんだなと。そんな長谷川くんとの日々を、今日も彼の前に自分がいるということによって壊したくないと、彼の目に映る自分が境遇つきの市子であってほしくないと思ったんじゃないか。
市子の4人家族は確かに幸せだったんだろう。月子の最期の瞬間も市子はたぶん月子を大事な家族と思っていたんだろう。気持ちよりも体が市子を動かしたんだろう。それを母も痛いほどわかったんだろう。
市子に接してきた多くの人々は、市子を自分が見ている市子の一面だけを市子に押しつけている、別の一面が垣間見えたとき彼らは自分から離れていく、あるいは相手の中の市子をさらに強く押し付け続けてくる、自分自身がどんな面を抱えているのかも、相手が最初にどの一面を見たのかも自分が意図したことではないのに…市子にはそんなふうに感じられたのかもしれない。
作中で市子を縛り続けていたさまざまな状況はすべて性的に非対称な嫡出推定(民法772条)に起因してる。戸籍によって自分が数えきれない安全と恩恵を受けていることはわかっている。しかし話が進めば進むほど戸籍ってそんなに大事なの?えらいの?あまりに暴力的じゃない?って思ってしまう。

最後の市子の語りを聴いているとき、自分がひとりの生徒と向き合うときのことを考えていた。自分が向き合うのは社会制度に規定されたさまざまな属性の集合体なのか、その人の属性とは異なるレベルでその人を見つめることができるのか、長谷川の市子への眼差しはそーゆーことだったのか、それとも彼が眼差していたものもまた彼の目に映る範囲での「市子」という属性の集合だったのか、そして彼が接する人たちの属性に対してちょっと無頓着だった、それが市子には心地よかったのか、
市子のような境遇の生徒に相対したとき、どのような接し方が彼女を肯定できるのか。今自分の目の前にいる実存だけを、その人を構成するさまざまな属性を退かせて眼差すことが自分にはできるのか。

たくさん想いをめぐらすことができるいい作品だった。誰かと一緒にまた観たい。