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市子のtrmのネタバレレビュー・内容・結末

市子(2023年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

どうしてこの手の映画の可哀想なヒロインはお母さんは夜職でシングルマザーでDVな男がいて、ついでにヤングケアラーだったりして、それゆえか娘も倫理観バグってて、男にしか寄るべもなく、そして一時の幸せを与えるのも男なんだろうと思ってしまった。この物語を再生産し続ける意味はなんなんだろうと考えてしまった。

しかしこの映画、さまざまな人物の視点から多面的に市子という人物と過酷な運命が明らかなようになったように見えるが結局のところこれも一面で、その人が捉えたい市子の姿でしかない、というのもこの映画がもつ批判性なのだろうか。

作中で、市子が殺害してしまったソーシャルワーカーの死体遺棄の片棒を担いだ、高校の同級生の北という男がいるが彼は「俺が守る」「助けたい」と失踪した市子をつけ回しては、拒まれている。(そもそも犯されそうになるところをベランダから見てたしね)

男を殺害した市子の元に駆けつけた時、北は「俺がヒーローになる想像をしてたし」という言葉を漏らしたが、男性が持つ可哀想な女を救ってあげたい、ヒーローになって好かれたいという独善的な欲望を象徴するキャラクターとして描かれていた。

そして彼は真相は分からないが物語の結末で市子に利用され…

もちろん北だけではなく、そうした「ヒーロー願望」を持った男性キャラクターが程度の差はあれ、この映画には複数存在していた。彼らの口から語られた市子は、彼らが見出したかった「壮絶な過去を持つ」市子なのかもしれない。(この映画作品自体もそういう加害性を持っている)。

では若葉竜也が演じる長谷川はどうだろう。彼との過去回想で幸せなひとときが市子のモノローグで語られるがこれすら本当か分からなくなってしまう。

しかし、家庭環境から離れた場所で何者でもない市子として出会い、可哀想だから、守ってあげたいということもなく、なんの脈絡もなく愛されたこと、生活をともにしたこと、これは確かに市子が本当に望んだなんでもない幸せだったのだろう。それは杉咲花の演技が証明していた。

では市子はどうしてその幸せを手放してでも失踪したのか、自分の罪がバレてしまうから、戸籍がなく素性がバレてしまうから?しかし、長谷川なら知った上でも一緒にいてくれそうだ。道はいくらでもあるように思える。

それでも逃げたのは、過去を知られてしまえば、「可哀想な」「誰かに守られる」わたしになってしまう、何より好きな人、好きな人と暮らした時間がそういうふうに変わってしまうことから逃れたかったのかもしれないと思う。

市子の母・なつみが「幸せな時間もあったのよ」とも言っていた。幸せな時間が、変わってしまうこと、その果てに自分に親切に愛を持って接していた人間が暮らしが変わってしまうこと。これが市子が避けたかった運命なのではないか。

しかし、長谷川は現に市子を、たとえそれが愛情だとしても、「助けたい」と声を荒げる人に変わってしまった。

市子が望んだのは、"壮絶な過去"から切り離されて、1人の人間として生きること。しかし、彼女は過去に相応の罪を重ねており、過去から逃れて生きることはできない。

そのことを悟った市子は、赤の他人の戸籍となって真に別人となることを選んだのではないかと思う。

友達とケーキ屋になるトゥルーエンドに導かれてほしかったな…

シンプルに杉咲花は良かったですね。

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"他人の戸籍を奪って生きる"という市子の猟奇性を言及する感想もあるが、必ずしも市子がそれを選択したとは言えない。ソーシャルワーカーの男との口論の流れや、月子殺害後の母親とのやり取りから察するに、家族全体が限界を迎えていたのだろう。3人の中で、隠蔽工作を画策できそうなのはソーシャルワーカーの男。無戸籍の市子は都合よく利用される形で月子となった。
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