『首』で、自分はやっぱり北野武が好きだと再確認したので、かつて北野映画の中で一番好きだったこのアキレスと亀を見直した。
口は災いの元というが、主人公のマチスは無口にただ絵を描くだけ、なのに災いがつきまとう。マチスには芸術という悪魔がついてまわるのだ。
初めて観たときはマチスがアキレスで、芸術が亀だと思っていた。芸術を追いかけて追いかけて、それでも追い付けない男を描いた物語だと思っていた。
だけど、本当は逆なのでは?
芸術の悪魔こそがアキレスで、マチスが亀なのではないか。
マチスはただ絵を描いているだけなのだが、悪魔は彼の命を奪うことができない。その代わり、マチスのまわりの人間の命を奪っていく。そこで悪魔は女性の姿となってマチスの前に現れた(妻である)。
妻はとことんマチスを甘やかし芸術の罠に嵌めていく。しかしマチスという亀をとらえることが出来ない。
もうひとり悪魔がいる。画商である。マチスに芸術をささやくことで彼をとらえようとする。命をかけて絵を描いたらどうですか。まさに悪魔である。
すべてを失い、絵を描くことすらやめてしまったマチス(拾った缶に値段を書いて売るだけ)。そこに妻の姿をした悪魔がやってくる。帰ろ? とささやく。
夫婦そろって去る場面のあと、「アキレスは亀に追い付いた」と出る。
マチスは芸術においついたのか? いや、マチスはずっと真の芸術家だった。
やはりマチスが亀だったのではないだろうか。