津次郎

ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディの津次郎のレビュー・感想・評価

4.5
目的が功名心にまみれている──と思うことがある。
何をするにも、自分の内心に承認欲を感知してしまう。
ほめられたい、好かれたい、栄誉をさずかりたい、バイトくんから尊敬されたい、さりげなく自慢したい、多数のいいねやフォロワーがほしい──そういうことを、日常の端々で、連続的に思っている自分に気づくことがある。

しかし、それを言うなら世の全体がそうである。
大谷翔平のような天才ではないわたしたちは誰もが浮かばれるチャンスをねらっている承認欲のごまめである。SNSは謂わばその歯ぎしりである。わたしたちは毎日スマホを眺めてそういう人々の歯ぎしりを聞いている。と思っていたら、聞こえていたのはじぶんの歯ぎしり、だったりする。

そんな世界のなかで、しばしば無欲な人間に会うことがある。じっさいにハナム先生のような人に会ったことがある──ような気がする。その記憶は、きっと自分が今より廉直に生きていたから、でもあるだろう。
わたしたちはやがて、青少年の健全な育成の理想を掲げるハナム先生に対して、いみじくも校長が言ったように「それはその通りだ、校長になるまではな」というポジションの傘下で生きるようになる。
学校の経営をあずかっている校長が「大口寄付者の息子にCマイナスをつけるな」とハナム先生を諫めるのは当然だからだ。
すなわちひとたびポジションを得てしまえば今まで通りの理想を掲げていくわけにはいかない──という大人の事情に与するわけである。

が、それは言い訳でもある、と映画「The Holdovers」は言っている。
ハナム先生はしがない古典教師であり、生徒にきらわれ女にモテず、やぶにらみなうえ魚臭症だが、職分をまっとうして生徒の訓育につとめた。名利とは無縁だが高潔な人物だ。アンガス青年の心に、永遠に生き続け、かれの人生をよりよい徳へとみちびくだろう。

つまり生徒に嫌われようとも、浮世の欲得から縁遠くあろうとも、信念に正直に生きるならそれで十分ではないのか──とこの映画は言っていて、それが欲得に生きているわたしには新鮮でかゆいのだった。

簡単に例えるなら、いまを生きる(Dead Poets Society、1989)の地味バージョン。加えてビジュアル偏重時代への警笛でもあった。この映画は間接的にせよ、人を外見で判断しようとするな──と言っていたと思う。

もうひとりの主役はノスタルジーだろう。
映画はさいしょからフィルムノイズがのり、レコード針をおとしたようなジリパチ音が混ざる。

『スタッフはフォーカスフィーチャーズとミラマックスのためにレトロ調のタイトルカードとロゴのバリエーションを制作し、映画のオープニングを飾ることで、この映画の1970年代の様式美をさらに際立たせた。』(wikipedia、The Holdoversより)

アレクサンダーペイン監督は実際に1970年代に作られたかのような雰囲気を醸し出すためにEigil Bryldを撮影監督に抜擢し、Eigil Bryldは監督の意向を汲んでフィルム乳剤とカラーグレーディングによって70年代の映像の見た目をつくりだした──という。

おかげでわたしは製作年度を二度見した。まるでさらば冬のかもめ(The Last Detail、1973)を見ている気分だった。
最新技術でつくられたレトロ調がThe Holdoversの雰囲気に大きく貢献し、よってもうひとりの主役はノスタルジーだった──と思うのだ。

また、どうやったのかわからないがハナム先生のやぶにらみ(斜視の特殊効果)が自然だった。オスカーでは作品賞と主演男優賞と助演女優賞と脚本と編集の5部門がノミネートされ、ランドルフが助演女優賞をとった。たしかにランドルフが演じたメアリーは哀しさがあらわれた名演だった。ジアマッティはどこでも巧いので賞レースでは与えすぎないような均衡がとられる。
本作でも他の役者は後配役だったがジアマッティのハナム先生は最初からきまっていた。ジアマッティありきの映画だった。

いい映画だったが老成したアンガス青年がなにかの拍子にハナム先生の写真を見つける──みたいな回顧シーンが、最後にあればよかった気がする。孫に「だあれ」と尋ねられるような。アンガスは懐かしく遠い目をしながら恩師だと答える。そんなラストシーンがあれば時代をまたぐことができた。

──が、ペイン監督は、わざわざ70年代に作られたような雰囲気を重視したのだから、ラストで現代に飛んでしまっては整合が損なわれる。この考察はわたしに蛇足という言葉の成り立ちを思い起こさせた。

imdb7.9、RottenTomatoes97%と92%。

映画の中身と同様にアレクサンダーペインは功名心(承認欲)を感じさせないストイックな監督だと思う。どの作品にも「いぶし銀」の感じがあるがそれは本作にもあった。
津次郎

津次郎