YAJ

青春ジャック止められるか、俺たちを2のYAJのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

【第三波】

 名古屋に実在するミニシアター「シネマスコーレ」に関わった映画好きな人たちのお話。

 たぶんに内輪ウケの部分も多いが、映画好きとしては、小劇場の奮闘や、映画制作にかける情熱と、思い通りにならないもどかしさ等を観ながら、遠い昭和の我が青春の憧憬とあいまって、じんわりと胸に迫るものがあった。

 シネマスコーレは、若松孝二監督(井浦新)が作った映画館。支配人木全純治(東出昌大)と、そこで働く金本法子(芋生悠)、若松監督に憧れる井上淳一(杉田雷麟)らの青春を描く。本作の監督井上淳一の若き頃のお話ということだ。
 作中、若松監督に弟子入りしようと直談判する井上に、若松が年齢、生まれ年を問い質す。「昭和40年です」と。なんと、井上淳一監督、ご同輩!
 途中からは、もう杉田雷麟演じる青年井上淳一が、80年代当時の自分と重なりまくりで、場所は違えど、同じ歳の男が同じ時代を生き、足掻きもがく様に感情移入しまくりだった。
 あちらは河合塾、こちらは駿台予備校京都丸太町校だった浪人のタイミングも同じ。上京し、部屋のテレビから流れるニュースが日航機墜落事件だ。あの夏の、時代を象徴する記憶が同じであることの証。あちらはW大、こちらK大だが、同じ時代を過ごしていたのだなとシミジミ。

 終演後トークショーに井上監督ご登壇。遅い時間にも関わらず(終了したのが22:30頃だ)、元気に、映画への思いと、木全館長の息子さんの現館長を持ち上げながら、ミニシアター存続の必要性、日本の映画文化の下支えを熱く語ってらしたのが印象的。
 なにより、前日には、長野相生座にもトークショーに出かけてらしたようで(長野相生座のインスタにあがってた)、全国を股にかけてプロモートに励んでらっしゃる姿に、頭が下がる。
 体に気を付けて、がんばっていただきたい。こちらは、鑑賞することでサポートします。



(ネタバレ含む)



 『福田村事件』で脚本/プロデューサーを兼ねた井上淳一監督。前作『止められるか、俺たちを』では脚本だけだったが(未見)、本作では、監督/脚本/企画と、目下、意気揚々というところだろうか。

 作中、新藤兼人の言葉として「誰でも一生に1本は傑作を撮れる、それは自分を描くこと」が引用されている。まさに、井上監督にとっての本作ということだなと思って拝見。

 とにかく、当時、何ものにも成れない自分、あるのかないのか分からない未来への焦り、同じ世代、時代を過ごした者として、ただただ共感しかなかった。
 コンプラなんぞ存在しなかった時代だ。パワハラ、理不尽な扱いの辛い現場ではあったろうが、それはどの業界、どの職場でも同じだったあの頃。ただ、映画は、その苦労の後に、ひとつ作品が出来上がる。成果が目に見える形で具現化する、やりきった感があろう。その時には、もう辛かった思い出は全て美化されていると想像する。きっとフルマラソンやロングトレイルと一緒かもしれない。
 そんな時代に、映画にジャックされた青春を送る昭和40年男の作品。 

 あの頃、先達からの教えは、おそらく一生ものだろう。
 上記の「誰でも一生に・・・」もそうだし、井上青年が、若松監督に、なにが撮りたいと訊かれ答えに窮していると、「お前が怒っているもんを撮るんだよ!」という恫喝も、心に響くセリフだった。
 映画を作ったり、本を出したりするではなくても、人は自分の一生をかけて何かを表現しているもの。つまり人生を全うすること、それがひとつの「傑作」となる。そして、そこで表現されるものが、そうか、自分が怒りを感じるものなんだ、というのはメカラウロコだった。

 「怒り」は直接的なものでなくてもよいだろう。この世界への激しい異論や、「そうじゃない」という思い。それを怒りに任せて表現するか、別の形で提示するかは人それぞれだが、根底には「怒り」にも似た強い思いを抱いていたいと思った。

 当時の世の中に怒りを抱く存在として芋生悠演じる金本法子というキャラを置いてある。周りがほぼ実在の人物の中、ひとりだけフィクションだったようだが(実在するモデルは居てたよう。後から知った)、彼女が希求する女性監督など、当時は微塵の可能性のない時代だったろう。今風のアレンジとして、女性の社会進出問題として描いたと想像する。
 さらに、そこに彼女の出自を在日朝鮮人にしたところもずいぶん欲張った設定だ(これも実在するモデルが実際にそうだったらしい。後追い情報)。ちゃんと描き切るほどの尺はなかったのが惜しい。
 それでも、外国人登録制度の指紋押捺制度が、当時はあったということを思い出させてくれた。心配してググってみたが、1992年の外国人登録法改正で別の手段(写真や署名)での同一性確認が行われ、指紋押捺は現在廃止されているようだ。

 とにかく、あの頃から、いろんなことが変わった。
 その起点となるのが1985年だ(指紋押捺を拒否もしくは保留する人が1万人を超えたのもその年だったとか)。劇中、意図的に流された日航機墜落事故のニュースは、さすが『福田村事件』で虎の尾を踏んだ井上監督らしい。その後のプラザ合意による円相場制への移行、そして昭和が終わり平成、バブルが弾け停滞の時代へ・・・。もっと、我々は、あの時代に怒ってもいいのかもしれない。

 映画も、それ以降の時代の波濤を越えて現代(いま)に至る。当時は、作中でも描かれていたように家庭用ビデオ、VHSの普及、レンタルビデオの台頭があった。映画産業が淘汰された第2波だ(第1波は当然テレビ放送の開始)。
 そんなヒリヒリした時代を描いた本作は、前作続編としての「2」ではあるが、映画業界のピンチ「その2」を描いたものとして捉えても面白のかもしれない。

 今また新たな危機を迎えているが(配信の隆盛等)、どんな時代でも映画は生き残ると信じたい。木全支配人の「これから、これから」という前向きな口癖が脳内でリピートする。

 がんばれ映画!の思いと共に、また足繁く劇場に足を運ぶとしよう。暗くて狭い箱の中で、人間の熱い思いを受け止めるために。

 第3波も、止まることなく乗り越えていきますように!
YAJ

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