ポートマン

悪は存在しないのポートマンのレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
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木々を下から見た風景から始まる
だいぶ長いカット
森を歩く少女、彼女は動物(植物)のような存在
薪割りをする男、

川で水を汲む、男二人、陸わさびを見つけて、「新メニューで使えるんじゃない?」
花のお迎えを忘れる巧、夜7時説明会、グランピングの
「巧さん忘れすぎですよ」

花はいつものように先に帰っている
一人歩く巧、土で彼が隠れ、再び見える時には花を背負っている
木々の名前を喋り続ける花
「幹が赤いのが松、黒いのがカラ松」
棘があるから触ってはいけない
孔雀の羽を拾う巧、「先生が喜ぶ」
巧の家でご飯、先生と他の夫婦、金髪

説明会
浄化槽の位置や、管理人が深夜にいなくなる問題などで住民から反発を受ける
外から反抗的な目をして見つめる花
社長とコンサル連れてもう一回やろう
補助金目当てだろと感情的になる金髪
苛立ちを隠せない高橋
真摯に受け止める黛
人が来て経済が活性化するから住民のメリットにもなる(東京の価値観)

先生に鳥の羽をたくさんあげる花、嬉しいけど危ないからあまり行っちゃだめだよ
巧と高橋連絡交換、交換の仕方も違う名刺を持ってない巧
金髪はお礼を言う高橋を無視

本社でコンサルとオンライン会議
ガス抜き終わったとするコンサルと社長
2ヶ月分の売り上げの補助金はお前らの給料でもある
考え直す最後のチャンスです
今からやる直すことはできない
巧に管理人やってもらえ
住民は思ってるより馬鹿じゃない
次のオンライン会議が始まってるから失礼
今から行ってこい

なんでこの会社来たんだ
黛の前職は介護福祉士で、その反動で、綺麗事が存在しなくて良い
会社やめろよ、
高橋は付き人をやっていた、俳優として出たことも、チャンスを無駄にする若者に腹が立つ、一方で活躍するのは執着がないやつ
大きい声出すの怖いです
この流れでタバコ吸ったら最悪か?
窓開けてもいいですか?
マッチングアプリの通知→爆笑
真面目なやつ、寂しいから結婚したい
明確に結婚したくない
お前って呼ぶの良くない
茶とか風呂とか言うんでしょ俺そんな人じゃないよ
この子と結婚して田舎引っ込みたい
俺が管理人なろうかな

薪割り中、飯食おう、やってみていいですか?

牛に草をあげる花、糞の匂いに鼻を押さえる

蕎麦屋、俺暇でもないし金に困ってもないんだけど、アドバイザーになって欲しい、俺個人の(上から目線)、
美味しかったです、体がすごくあったまりました、それ味じゃないでしょ
水が足りない、大丈夫人手はあるから
180円足りないんだけど

あそこは鹿の通り道だから3mの鹿よけがいる、そんなとこに人はくるのかな、鹿が人を襲うことはないんですか、絶対ない、手負い(方言)の場合を除く、逃げる余力がない時は戦う、野生の鹿は触れないしどんな病気を持っているかわからない、見られてすぐ逃げるなら問題ないのでは、鹿はどこ行くの?、高橋「どっか別の場所に」、巧煙草に火をつける(苛立ち、目線の違い、鹿はどうでもいいという高橋と彼らと共存する巧)
水汲み、水飲む、運べない黛、「タバコ吸う?」、銃声初めて聞きました、「あっ」花のお迎えまた忘れる

先に帰っていた花、見つからない、枝に血が滴る、手を切る黛、巧の家に置いていく、花を探しにいく巧と高橋、薪ストーブで沸騰するやかん(巧の心情?)迷子の防災放送、総出で花を探す、広場で鹿と対面する花を見つけた巧と高橋、巧が手振りで高橋を制する、鹿の方に歩いていく花、向かおうとする高橋を落とす巧、「なんなんだよ」、鼻から血を出した花が倒れている、血を拭って花を抱えて歩き出す巧、起き上がりながら歩くことができずにまた落ちる高橋、オープニングと似た構図で歩いているだろう男の吐息が漏れている


感想など

音楽中心、森を下から眺めるシーンがいくつか、最初は曇り、途中雲を通して太陽が見える、最後は霧に包まれている、
それぞれの立場、価値観、見方の違い、
ハッピーアワーの俳優何人か、三浦博之と菊池葉月は特に好きだったので感慨深い
最初は車を前から見ていたが、途中から車の後ろにカメラがつけられていた、車と連動して細かく動くカメラ、

住民と会社の対立というわかりやすい構図だけでなく、知ろうとする二人にも悪気のない悪い言葉が発せられる

半矢の巧は高橋を締め落とす

金髪は、花を探しに下へ落ちる水路に沿って走っていった

最後の歩いている息は巧か高橋か、巧だろうな

花役の西川玲の声が大人のアテレコかと思うくらい大人びていた

上流でやったことが下に影響するから、花が襲われたのか

それ味じゃないよね、とかのあたりで劇場には笑いが起きていた

画面を固定して人が横断、縦断する画が多かった、水汲みのシーン、花が走っていくシーン、人間の大きさが異なっていた

木を切るが、善悪はチェーンソーではきれない(ソシュールの言語学を最近学んだ影響で、記号の恣意性が思い浮かんだ。言うなれば、善悪の恣意性である)
音楽もぶち切られるところが多い

水挽町という名前が水のテーマを示している


やりすぎたら、バランスが壊れる