ひでG

悪は存在しないのひでGのレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.2
GW後半初日、爽やかな五月晴れ。ル・シネマは満席!さすが濱口竜介作品だけに会場の期待観でムンムンしていました。と言うか、そもそも上映館少なくねぇっか!と思いますよね、、
満員の客席からエンドロール後、場内が明るくなってから、何とも言えない「んん〜」や
「ホッ、、〜」の声にならない呟きが聞こえてきたように感じました。
「今からみんなでこの映画について話しませんか?特にラストの解釈とか、」て大声て呼びかけたら10人位は乗ってきてくれそうな雰囲気でした。

元々、前作「ドライブマイカー」の音楽担当だった石橋英子さんから音楽に合った映像を撮って欲しいというオファーから広がっていった企画だということです。
テレビのインタビュー番組で「音楽は何度でも聴いていくものなので、この映画も何度も観て理解して欲しい。」と語っていました。
なるほど〜!一回じゃ、ラストでポカーンしてしまった僕だけで無理ないことですね😅

観終わってからずっとラストの意味を考えていたんですが、「待てよ、、ファーストカットも随分変わってたよな、、」て、気になってきました。

森の木々をずっと見上げるようなショット。しかもかなり長い。あれって、誰の目線なんだろうか、あの低さって子ども?
それから何であんなに長いの、、
これからファンタジー、寓話の世界に入って行きますよ、用意は良いですか?って宣言なのかな。

そう考えてみると、本作は寓話性と現実性が相まっている映画だなって改めて思いました。

まずは現実性の実に的確というかリアルというか、見事だと感じました。
私は2年間だけですが、長野県に住んでいました。本作は長野県の架空の町が舞台ですが、撮影地は、原村と富士見町。だから、あの森の感じ、山々が背景に見える土地、駐車場が広めの木製の集会場など、まさに長野!なのです。
そして、巧を演じる大美賀均さん、娘の花を演じた西川玲さん、演じたと書いけれど、演じてるなんて二次的な人物でなく、そこに居る親子にしか見えません。
水挽町の人々もまさにその町に住む人たち。
映画やドラマでは当然、顔の知れた役者さんが過疎の人々を演じることが多いんだけど、当然、「○○さんが演じてる」て見えてしまいます。本作では、まるでドキュメンタリーのようにその場に馴染んで実存して見えました。

あのグランピンク施設の2人の描写も本当にナチュラルで素晴らしい。生身の人として、車内の会話なんか、ちょっと好きになっちゃう、こっちの味方なんだなって思っちゃう。
こうやって、田舎も都会も人として繋がっていければ、悪は存在しないんだなって、とっても安易でチープな結末を勝手に予想しちゃっていました。

でも、濱口監督はそんな「お手手繋い」みたいな展開にはしません。打ち解けた、分かり合ったと思わせた巧とグランピングの高橋との
決定的な違い、隔たりをパシッと提示してきます。
「じゃあ、鹿はどうするんだ?」
「どっか、別の所に住むんじゃないんですか?」

長野県に住んだ僅か2年間でしたが、地元の人たちは脈々と受け継いできた根幹の思いみたいなものを感じていました。
それは「私たちは自然の中に住まわしてもらっている。自然の一部だ。」というものです。
匠のこの言葉はまさにそれなんだと思うんです。
対して、グランピングの高橋は巧を通して自然の生活を理解し、共感したように見えましたが、やはり「ここにストレスを吐き捨てに来る都会人」なのだと観客にも突きつけるのです。
ここまで書きながら、もう一度この映画について考えいく中で、観た時にはポカーンだったラストの輪郭が少しだけ見えたように感じました。
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