まりりんクイン

悪は存在しないのまりりんクインのレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
3.8
悪は存在しないの雑多な感想

凄く面白かった、けどどう頑張っても「急に打ち切りになった週刊連載の漫画みたい」としか自分には思えない。

制作の話を見るに、結構先を決めずに進めていた様なので、ある程度筋は通しつつその場の感性も大事にして作られているっぽい。なので色々と深読みは出来るけど纏めるのは無理なんだろうと思った。

「他者との相互理解なんて、根底の部分では無理なんだよ」という濱口監督の通例テーマと、「水は低きに流れる」というワードを軸に見れば最後になんでああなるのかは理解出来るけど、描写が飛ばされ過ぎてる。でもそれによって見終わった後も頭に残り続けて余白を埋めようとする気持ちが生まれているので、まんまとハマっているのかも知れない。

山に響き渡る斧とチェンソーの音、自然と共に生きながらもタバコを山で吸い潰す主人公、銃声、そして気持ちの悪い所で急に終わる音楽。序盤の何も起きて無いのにこれから酷いことが起きそうな不穏さがとても良い。台詞は極限までに少ないが、主人公が何か心に問題を抱えているんじゃ無いかという陰を、要所要所で感じて少しずつつ不安になっていく。
トドメに手負の鹿の死体や、娘の花ちゃんが1人で森を歩く時の不穏過ぎるカメラワークで、作品から明確に死の匂いが漂い始める。
「これは何か取り返しのつかない事が最後に起きるに違いない」というワクワクが募る。

グランピングの話が立ち上がってからの、村人に向けた説明会と、高橋と薫の車での会話シーンが本作で1番面白かった。

「こういう説明会ってあんまり質問が出ずになあなあで終わるのが普通だよね」と舐めて観てると、モリモリ鋭い質問が飛んできて詰められていく。自分も村の人達を甘く見ていた事を突きつけられるし、少しスカッとする。
この場面で村長が話す「水は低きに流れる」という話は、明確にこの映画の軸になっているのでわかりやすい。思い返してみると、序盤からカメラワークも上から下に流れるショットが多かった。
(話を決めずに撮り始めてるのにこんなに腑に落ちるの、凄い)
またここで巧が「自称便利屋」というカッコいい言い方の無職である事が判明。俄然この主人公が信用出来なくなって来る。

一転して会社側の2人、高橋と薫の話になる。彼らもまた「さらに上流の汚れに悩まされる下流の人達」だった事がわかり、「主人公に協力して貰いに一度直談判に行こう」と車で再び巧の元に向かう。
この道中の車内で2人が行うもの物凄く自然で解像度の高い会話によって、さっきまで村人視点で「自分達の土地を食い物にするよそ者」に見えていた2人に、一気に親近感が湧いてくる。いわゆる「こういうドラマに出てくる高慢ちきで嫌なヤツ」に見えた高橋は、どこにでもいる中間管理職のおじさんだし、「純真で誠意のある部下」に見えた薫は、しっかりと芯のある強かな若者だった。

一部では「役者が棒読みすぎて演技が下手」と言われているが、このシーンを見ると明確な意図を持って棒読みと自然な演技を使い分けているのが分かる。濱口監督十八番の、演技のレイヤーによってキャラクターの本音と建前、親しい人と外面向けの人格の切り替えを表現する手腕が存分に感じられて滅茶苦茶面白い。 

車内の会話で「もう俺が管理人になっちゃおうかな〜」と薫に言っていた高橋が、全く同じ話を巧に対して打ち明ける所が凄く面白かった。一見本音を話して腹を割っている様にも見えるが、彼は元々俳優志望だった事が直前で示されているので、結局どこまで行っても「頑張って巧に気に入られる為に薪を割ったり、理解を示す演技をしている」様にしか見えない。
勿論、それ自体は全然悪いことでは無いし、営業職としては熱意ある正しい姿勢だ。しかし、半ば社会からドロップアウトしている巧にとっては、その全てが茶番で嘘くさい物に感じられたんじゃ無いかと思う。

巧は父親としてはかなりダメだし、自分にとって嫌なタスクを先送りにする傾向が見られるので、何かしらの障害がありそう。奥さんが何故いなくなったのかの説明は無く、彼のこれまでの人生は想像するしか無いが、血の繋がった子供にさえも絶対に心を開かない(開けない)人物であるように見える。
作中何度も出てくる「手負の鹿」の話。普段は温厚な鹿も怪我をすると気性が荒くなり、人を襲う様になる。巧はまさに「手負の鹿」の状態で、いつ爆発してもおかしくない危うさを抱えていたのだと思う。そしてその暴力は、鹿を撃って取り逃した同じ村の人でも、娘を1人で帰らせてしまった自分でもなく、本人がどれだけ理解しようと努力していようが、巧にとっては「都会からやって来た自分の生活を脅かし食い物にしようとする奴」でしかない高橋に向けられてしまう。

脚本を書き切らずに進めても、最終的には「悪は存在しないが人は分かり合えない」という通底のテーマに着地するのは流石すぎる。これこそ作家性。なので「なぜ巧はあの様な行動を取ったのか?」とどれだけ考えてもわからないと思う。恐らく監督にも感覚的にしか分からないんじゃないだろうか。

水は低きに流れる。そして、一度下に流れた水は二度と上流に戻らない。
この映画にはいくつもの上流と下流の分断が描かれている。
都会と田舎、上司と部下、年寄りと若い世代、そして親と子供。
あのラストの後、花がいつか巧のした事を知ったら彼女の人生はどうなるのか。(もしかしたらすぐにバレて巧が警察に捕まるかも) 
ポスターに書かれた「これは君の話になる」というキャッチコピーによって、より話の奥行きを感じられた。

腑に落ちなさも含めてとても強烈な映画体験だった。
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