志麻さん

悪は存在しないの志麻さんのネタバレレビュー・内容・結末

悪は存在しない(2023年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

映画に限らず映像作品を観る時観客は、スクリーンや画面に映る現象に対してなぜそうなったのかという原因を求める。原因と結果を結びつけてストーリーを構築していく。でもそれは観客が勝手に脳内でやっている行為で、スクリーンに映ってるのは光と影である。

昨今伏線回収や考察ブームが多く見受けられるのは、観客が結果に対して原因を求めすぎるからだと思う。でも現実にはすべての現象に原因があるわけじゃない。理不尽なことも数多ある。
この映画はカメラがただ被写体をフィルムに焼き付けていた記号論的映画に立ち戻って、言葉や身体や自然そのものをスクリーンに映し出している。

物語としては自然豊かな町に芸能事務所が補助金を使ってグランピング場を作るという計画が持ち上がり、住民への説明会の中でその計画がずさんなものだとわかる。この時点で住民=善、芸能事務所=悪という構図に誘導されるが、次のウェブ会議のシーンで芸能事務所側にも事情があり、その担当者も好きでやってるわけじゃないことがわかる。
善か悪かというのは見方を変えれば変わるわけで、タイトルからも悪を悪として見ることを禁止されている。
住民ももともとは開拓してこの地に移り住んだ人たちだから、芸能事務所側と同じ立場とも言える。

それは自然界も同じで手負いの鹿が少女を襲うことが果たして悪なのか。そして巧が高橋に仕掛けるチョークスリーパーは何なのか。ラストの突拍子もない結果に対して原因を求めようとする姿勢は、一方的に善と悪を決めつける見方と同義ではないか。

この映画が素晴らしいのは、魔法みたいなショットも散りばめられている点だ。移動撮影で巧が1人で歩いてると思ったら画面が遮られて次見えた時には巧が花を背負って再登場する長回し。だるまさんが転んだの中で固まっている子供たちを移動撮影で捉えるショット。背景の絵画と同じポーズをとる芸能事務所の社長。
こういう遊び心もちゃんとあるから、この映画がタイトルに引っ張られて教訓めいた作品になるのを防いでいると思う。
志麻さん

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