このレビューはネタバレを含みます
自然の行いは善悪を超越しているが、人間の思惑の上では善悪という対立構造が存在する。そして、その対立構造を破壊するのは善悪を超越した子供(≒手負の鹿)である。
最後に振るわれた唐突な暴力も、自然が秩序を保つための善悪を超えた運動、つまりオゾン層が壊れるように、過剰介入した都会の配慮に欠けたおっさんが排除された...と見ればいいのか? でも自然の代理人として暴力を是として振る舞うエゴの塊のような人間は悪だし、そもそも森に一人で行く子供を注意しないのは保護者として悪なのでは? というか俺の解釈がタイトルに引っ張られすぎなのでは?
確実にもやもやするであろうストーリーに石橋英子さんの美しくも不穏な劇伴がのっかって、エンドロールがはじまり、えっ、終わるのか...と思って見つめてると、「悪は存在しない Evil Does Not Exist」というメッセージ性の塊みたいなタイトルが表示されて、何となく納得しつつ、ごまかされた感じもありつつで劇場を後にする映画...なのか?
あとこれは完全に私の妄想ですが、最後に登場した手負の鹿は有り余る金を費やして道楽で狩猟をはじめた(であろうと私個人が一方的に妄想してる)東出昌大が仕留め損ねた鹿でしょうね。
悪は存在しない
Evil Does Not Exist
完