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フェラーリのryo0587のレビュー・感想・評価

フェラーリ(2023年製作の映画)
3.5
『ヒート』『コラテラル』の2本が個人的にブッ刺さりまくっている贔屓監督マイケル・マンの劇場最新作。

名作が多い伝統的なレースモノかと思いきや、ジャンルはあくまでも下敷きで、その実はエンツィオの複雑な人物像と、彼の複雑さを象徴する人間関係の相剋と決着に最終的に着地する展開は意外で少し驚いた。

そのため昨年の『グランツーリスモ』のように爽やかな鑑賞後感を期待すると肩透かしを喰らうだろう。

作品冒頭でデ・ポルターゴが目撃するクラッシュが終盤に彼が見舞われるクラッシュの伏線になっている。彼の運命を決定づけるこの事故は真正面からあけすけに描写されており、見物人を巻き込んでいく瞬間的な地獄絵図には思わず劇場で呻き声が洩れてしまった。

エンツィオは作中ずっと過去と現在の板挟みと二重生活で苦悩し疲弊している。

過去は正妻ラウラとの破綻した関係や亡き息子ディーノへの想いとしてエンツィオを苦しめる。ラウラがエンツィオに向かって発泡するシーンは、エンツィオ自身が予感するように、いずれ自分が過去に殺されるかもしれないという、実存的な危機のメタファーだ。

一方で現在は愛人のリナと隠し子ピエロとの二重生活の維持、とりわけ公然の秘密たるピエロの認知問題としてエンツィオを悩ませる。

過去と現在の複合物である自分の会社、その存亡を賭けたミッレミリアでの優勝に向けてすべてのプロットが収束していくが、人生は奇なり、物語はそこでは終わらない。

レースでの悲惨な事故を受けて現在と未来が存亡の危機に瀕する中、救いの手を差し伸べたのは、それまで自分を滅ぼすかもしれないと危惧し対峙していた過去=ラウラだった。

物語は、現在と将来を象徴する隠し子ピエロを、自身の過去であるディーノの墓に連れて行くシーン=二重生活に隔てられてきた過去と現在がついに交錯するシーンで画面は暗転する。

暗転した中に浮かび上がるモノローグでは(作品の解釈では)ラウラからのカネで会社は追求を免れ、代わりにラウラの願いは聞き入れられたこと、ピエロもあるべき姿でいることがわかる。

エンツィオが自身の過去と現在の板挟みから生じる葛藤や苦悩、矛盾に一応の折り合いをつけたのだろうことがわかる、象徴的で良い幕切れだ。

マイケル・マンは抑制されたトーン(レース映画にしては、本当に地味だ)を採用しつつ、その熟達した演出力で言葉に表れないメタファーや滲み出る微妙なニュアンス、2人の人間が向き合った間に張り詰める緊張を巧みに画面に刻印することで、エンツィオという複雑なパーソナリティを探究する味わい深い物語を紡いでいる。

マン監督作品につい期待してしまう独特のプロフェッショナリズムやストイシズムは、本作ではレーサーに発破をかけるエンツィオの台詞に垣間見、堪能できる。
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