レインウォッチャー

DOGMAN ドッグマンのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

DOGMAN ドッグマン(2023年製作の映画)
4.0
突然ながら、まずはクイズから。
犬が3つ集まった珍漢字、《猋》。これ、何と読むでしょう?

…チッチッチ…ワン !!!

正解は「つむじかぜ(ヒョウ)」。犬の群れが走り回る様からの連想だろうか。
そこんところ、この映画は《猋猋猋猋》くらい犬が活躍するので、さしずめ「つむじかぜ」を越えて「嵐」?嵐といえば『テンペスト』、テンペストといえばシェイクスピア……わかったぞ!劇中でシェイクスピアが強調されるのは、このことを暗示していたんだよ!(な、なんだってーー!!)

…なんてのはもちろん茶番としても、今作がシェイクスピアらしい宿命にまつわる悲劇であることは確かだ。
しかし同時に、コントロールが及ばない力に翻弄される人生の中で(主人公は「人生は暴れ川」と演歌みたいなことを言う)、いかに生きるべきかを表現者/創作者の視点から示した物語でもある。終盤の犬大喜利ホームアローンとか奇想炸裂なところもありつつ、当社比まじめなほう(失礼)のリュック・ベッソン。

物語は、深夜にある男が収監されるところから始まる。彼、ダグラス(C・L・ジョーンズ)の風体ははっきりと異様だ。ドラァグクィーン風の派手な女性装に車椅子。そして、車にはたくさんの犬たち…
その後、訪れた精神科医エヴリン(J・T・ギブズ)に彼が自らの半生を語る形式で進んで行く。主に3つほどの時系列を行き来しながら進行し、彼がなぜ《DOGMAN》となるに至ったのかが明かされるのだ。

多分にキリスト教的要素を含んだ作品でもある。
付き従う犬たちを「私のベイビーたち」と呼び、人間以上に愛し信頼を寄せてきたダグラス。彼は「犬の唯一の欠点は人間への忠誠心」と語るのだけれど、この《忠誠心》はそのまま神への《信仰》と重ねられるようだ。

ダグラスの生い立ちは壮絶であるが、彼(と犬たち)を虐待した父や兄は皮肉にも神の信徒だった。兄の首にはロザリオがかかり、同様に父の首にはダグラスを閉じ込めたカギがかけられている。
ここにおいて、信仰は人生への呪縛と同列となり、ダグラスを抑えつけるのだ。事実、ダグラス自身も、その後何度も運命に裏切られようと神の存在自体を否定することはなかった。わたしたち(日本人)の多くが認識する以上に、西欧ではキリスト教的な概念が刷り込みに近く生活に埋め込まれていることだろう。それがある人にとって救いとなるのか呪いとなるのか…には答えがない。

そして、「GOD⇔DOG」の反転を目にしたダグラスは、やがて人間を見限って、いわば犬たちにとっての神となっていくのだ。
犬たちはダグラスに無償の愛を注ぎ、彼の言葉を忠実に実行する。犬たちにとってダグラス(飼い主)は世界のすべてに近い。ダグラスが犬たちに本を読み聞かせる(=知を分け与える)場面は、さながらミサのようだ。(※1)

また、ダグラスは犬たちを深く愛しながらも法的には犯罪にあたる行為や暴力に加担させたりもしているわけで、このあたりも宗教と信徒が歴史上築いてきた関係図にごく近い。この挑戦的な視点は、かつての『LEON』『ジャンヌ・ダルク』(※2)といったL・ベッソン映画から引き継がれているものを感じる。

神に救われなかったダグラスが救いを見出したのは《虚構》の世界。施設で出会った演劇と、彼を導いたまさに女神(ミューズ)たる女性サルマ(G・パルマ)。
つらい現実に対抗する手段としての虚構や創作…といったテーマは多くの映画で見られるものだけれど、今作はその一歩先を描いてもいると思う。即ち、「それにすら裏切られたら?」。

ダグラスの幻想は淡くも打ち砕かれ(※3)、絶望を味わう。この場面は間違いなく今作の白眉であり、迸る切なさにわたしも涙を堪えきれなかったけれど、同時に彼の新たなターニングポイントともなった。彼は、幻想の中の女神と《同化》する道を選ぶのだ。

ダグラスが見つけたドラァグクィーンの舞台で、彼はE・ピアフやM・ディードリッヒ、M・モンローといった数々の《夢の女たち》を演じて喝采を得る。つまり、ここで彼は女神(ミューズ)を自分の中に取り込んだといえるだろう。

また、この像は母の想い出とも深く結びついている。ダグラスが舞台で歌う曲は、どれもが母がかけていた古いレコードを想起させるものだからだ。自分を捨てて先に逃げた母に対する行き場のない愛憎がここに見える。

このダグラスの姿は、『ニキータ』『LEON』、そして近年の『ANNA』に至るまでL・ベッソン監督が何度となく描いてきた、母性と強さをあわせもつ理想の女性像(※4)についての一つの到達点であるようにも思う。いっそ一つになってしまいたい、と。
ついでに、今作のエンディング曲『Autumn Star』(良い曲!)を歌うのは監督の実娘S・ベッソン。ある意味これって、自身の中にあった女性性(アニマ)の究極的な出力でもあると思う。

ダグラスはエヴリンに対して「別人を装うことは救いになる」と語るけれど、その救いは絶望と痛みの上に成り立っている。決して《逃避》ではなく、運命(神)に何度突き放されようと、彼がその都度自らの傷を糧にして掴み取ってきた《昇華》の姿だ。
彼は犬たちの神&理想の女神という、誰も彼に提供してくれなかった父性と母性を自前で生み出す完全な存在《DOGMAN》として自分を再構築し、人生に意味を見出そうとした。

ゆえにラストシーンはパワフルであり、勇気をくれる。神が独りであるようにダグラスも、そしてわたしたちも独りだ。それでも絶対に敗けない、敗けてやらない。

犬たちを介してある人物への意志の《継承》まで描かれているようであり(※5)、熟年映画作家L・ベッソン一世一代の大見得といえよう。グッときたぜ。

ー"I wanna be your DOG. / I wanna be your GOD."(特撮『文豪ボースカ』)

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観た人ときっと一緒に語りたくなる、「どの犬が好き?」。
わたしは、優美で細い(薄い)ボディを活かして活躍するサルーキが推しです。

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※1:他にも、ワイン=血に見立てたりとか色々。

※2:劇中劇の場面で、一瞬『ジャンヌ・ダルク』が映る。にやってしちゃったぜ。

※3:「思い出アルバム」のプレゼントは重いんだよなぁ…(でもあれめっちゃキュート、泣いちゃう)

※4:ダグラスも、黒ボブカットのウィッグをつけます!

※5:ちょっとリスニングに自信がないのだけれど、「We have both something in KARMA.」って言ってたような気がする。カルマ=業、宿命は受け継がれる。しかし、ダグラスはラストでその宿命を「悪運」ではなく「力」に変えてくれたのかもしれない。