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52ヘルツのクジラたちのmasososoのネタバレレビュー・内容・結末

52ヘルツのクジラたち(2024年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

原作既読。
やっぱりいかんね、どうしても原作先読んでしまったものの実写化は間違い探しをしてしまって作品をフラットに見られないや。

よかった改変はアンさんに関する描写。クジラの鳴き声の音楽をくれたのが原作ではルームメイトの女の子だったけど正直彼女である必然性はなかった。その点映画ではアンからになっていて、彼も52ヘルツのクジラだったということが強く印象つけられているし、キナコとの結びつきもより強くなっている。
それから原作では母親が納棺されるアンさんの髭を剃り、化粧まで施すという残酷な無理解の描写があったけど映画ではその演出はカットされていて、代わりに部屋での親子の会話において「2人で私たちのことを誰も知らないところに移り住もう」というアンさんの存在を隠そうとするような発言がある。
そのあと「娘でも息子でもただ受け入れるべきだった」と、それを悔いる描写が差し込まれていてまだ救いがあったのは良いアレンジ。

逆にキナコの人物描写は微妙な違いだけど結構重要なポイントを削いでしまってる気がした。冒頭の大分で暮らすキナコの雰囲気からだいぶイメージと違った。原作ではもっと厭世的で人を寄せ付けない、まだ苦しみの最中にいるという描き方だったのが、映画のキナコは52に対しても琴美に対してもすごく真っ直ぐ直線的な接し方をする。
キナコが52の声を聴こうとしただけでなく、52に自分の声を聴いてもらっていたというのが関係性の根っこの部分なはずなのにただの保護者になってしまっているのが残念。
それから母親との関係性についても義父と母の間にいるはずの弟の存在が映画では居なくなっている。その為なぜキナコが母から疎まれるようになったのかという説明が弱くなっているし、家庭の中でどれだけ居場所がなかったのかという描写もない。只々介護に忙殺されていた事がキナコのどん底になってしまっている。

アンさんとキナコのやりとりもほんのちょっとの違いで物語の本質が変わっちゃってる。
キナコからアンさんへの「私のこと好き?」は本来は主税とのトラブルの後にキナコが無神経に発した言葉。それがアンさんを深く傷つける。映画では主税と出会う前の言葉になっているし、キナコがアンさんに好意を持っていてのただの告白と失恋になっちゃってる。
原作では章題に「償えない過ち」ってのがあった。現在のキナコはアンさんを自分が殺してしまったっていう罪を抱えていないと前提条件が変わってきちゃうんだよな。

映画単体で見たら楽しめたと思うんだけど、原作ありきで考えると大事な部分を失ってしまっていてもしこれだったら本もこれほど評価されてないんじゃないの?って感じ。
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