微少女

52ヘルツのクジラたちの微少女のレビュー・感想・評価

52ヘルツのクジラたち(2024年製作の映画)
4.6
【救うことと掬うこと】
まず、杉咲花と志尊淳、そして桑名桃李の圧倒的な俳優力に大きな拍手を贈りたい。
それぞれの苦しみと、それぞれの救いと、それぞれの愛とが、言葉のみならず滲み出ていた。それはもう、こちらまで苦しくなるまでに。

物語は現在とカットバックした過去で進む。現在も過去も十分すぎるほどに丁寧に描かれ、ときおり胸が痛くもなる。それでも、つらく苦しい映画だけれども、平気で暴力が出てくるけれども、でも、とっても自分の内側まで入ってくる。ときおりじとりとした汗をかいてしまうけれど、登場人物には幸せになってほしくて、決して目をそらすことはできなかった。

普段よく言う「愛だね」とか「愛あるね」とかってもっと詳しく考えるとどういうことなんだろうって考えると、本作のテーマのひとつである「すくう」にたどり着くのかもしれない。

「すくう」という言葉にはいろいろな力があると思う。「救う」や「掬う」や「巣食う」——
本作では「人は人のことを救えるし、掬えるし、巣食ってしまうこともある」というすくいのことが描かれる。
キナコはアンに救われたし、イトシはキナコに掬われたし、かたやチカラや母はキナコを巣食った、そして、アンは守ってきたはずの自分のアイデンティティに巣食われて、チカラは足元を掬われる。
同じ「すくう」でも、意味が変わるし、それぞれの思いも変わるし、そう考えると私は誰かを巣食うばかりで、救ったり掬ったりできているのだろうかとちょっと不安になる。まあそうしなきゃいけないということも決まっていないのだけれども。そんなことを考える本作だった。

とにもかくにも、人の世は誰かを傷つけて成り立つし、でもその中でも誰かを救う/掬うことはできるし、私はそうでありたいと思った。

追伸
杉咲花だいすき。あんなに不幸を描ける俳優、なかなかいないよ。でも、それは幸が薄いってことじゃなくて、「不幸せのなかの幸せ」を描く力がとてつもなくあるってことだと思う。
これからにも期待。ほんとだいすき。
それと、録音部とフォーリーさんがとてもよかった。どんなに小さなため息や衣擦れも逃さない感じ、執念を感じた!

さらに追伸
4/19、原作を読んだ。映画ではそんなに思わなかったけど、小説だと余白が多かったからか「私はアンさんなのかもしれない」って思った。自分のせいで好きな人すら満たせないつらさ、簡単にわかるとは言えないけどじわじわと心を削られていくあのつらさはわかるよ。私も誰かの52ヘルツを聞く人になりたいし、誰かに私の52ヘルツが届くといいなぁ。
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