おかちゃん

トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代のおかちゃんのレビュー・感想・評価

4.1
「今更ながらに、彼の功績は凄かったなあ~」だから、この企画が立ち上がったのだんだなあ…。

▪️①酔っ払い🥴フォークル➡️②ミカ・バンド🎸➡️③ヨーロッパ3部作🎶➡️④猿之助スーパー歌舞伎🐵と、グルグル変遷して正直私も全部消化出来ていない。けれど、70年以降の音楽・食文化・FASHIONと全てで影のフィクサーとして関わってる事は間違いない。彼の音楽的思考は、コインの裏表というか車の両輪というか、私の好みとは対岸であったが(特に③以降)、そうは言っても「巷で耳にしたあの曲、ちょっとセンスいいね…」と必ず彼が関わっているので否が応でも軽視出来ない存在だった。また、日本でPAギンガム設立の功績も忘れてはならない。つまり、今の時代のPOPなモノは、彼無くして存在しないと思う。しかも彼自身は、気負うことなく時代と軽やかに遊び切った人。
こんな人は居ただろうか?
おっとと、こういう気負った発言こそ彼が最も避けてきたお洒落でない(洒脱でない)発言なのかもしれない…。

▪️映画は相原監督だけあって、凄くツボを押えた編集。特に死因が重いので、エンディングを未来思考に制作されている点は、数々の音楽文化系ドキュを扱ってる感を感じた。一部に「加藤さん作品ならもっとオシャレに…。」的発言があるが、こんな多方面に渡り活躍したLEGENDを題材にどんな作品化ができるだろうか?もし出来るとしたら、北山氏か松山氏くらいだと思うが、彼らですらトノバンの全体像を捉えることに諦観している。恐らくもう少し時間を経ないと本当の偉大さは分からない…。
▪️私は、You tubeの高中の追悼🎸play を何十回と見てるが、今だに観ると涙😢💦が止まらない。

▪️今、街中を歩いているとインバウンドで海外の多くの方々が🧳日本に訪れているのを見かける。そして、口々に「日本は素晴らしい」という。そういう時私は、嘗ては「小人のよう」と言われた日本人と、アジアの片隅の国土狭い国が、何故にこう受け入れられるのようになったのか?街中の女性達は、決して海外(特に欧米)に比しても引けをとらないと思うのです。 多分一般庶民がこのように文化的に洗練された生活(それは見せ掛けの消費文化なのかもしれないが)をしているのは彼とZUZUの功績に寄るところがかなり大きいと思われる。80~90年初頭バブリーな生活は、確かに一部で眼を背けてしまう一面もあった。でも「文化の洗練とは、こういうモノじゃない?」を体現して魅せてくれた。だから、今の時代アジアの人々が日本人の洗練を憧れをもって注目するのではないか…。更に、今欧米人達も熱狂してるアニメやサブカル文化も、その基礎を築いたのは彼ら達だ。

▪️そう想うと、加藤さんの死は残念でならないのと、彼が諦観したかもしれないこの先の日本人の行く末を考えると気持ちが重苦しくなってしまう。
加藤さんは、出来すぎて総合Produce-playerになってしまった。細野さんには、当時の人々が、どんどん鬼籍に入ってしまうので、心おきなく総合direct-playerで全うして欲しい。
R.I.P =加藤和彦・トノバン🙏

追記=2024.10.31故あって再見。
  初見の時は、彼の偉大さに圧倒されて、やや興奮的私見を開陳してしまった😵💦今回、2回目なので退屈するか…と思ったが、あにはからん充分満足した。
▪やはり加藤さんは、北山氏がコメントしたように、次の世界が観たくなったのでしょう(それは、裏を返せば現実が詰まらなくなった…)。自分の思い付くママに音楽を手掛かりにあらゆる分野で遊ぶつくしてしまった。
▪一方で他の方が指摘されているように、私的な事情(相方との死別e,t,c)も、映画には描かれてないが存在したのも事実だろう。ただ、人一倍クールな彼は、表に出せなかった…。
▪そして、老いて醜態を晒すのも避けたかった?

彼が、坂本さんや幸宏さんのように病死でないだけに、胃たたれない想いが拭えない😢