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カサンドロ リング上のドラァグクイーンのSPNminacoのレビュー・感想・評価

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メキシコ名物、ルチャ・リブレとソープ・オペラ。その2つを合体させたのがエクソティコ・ルチャドールのカサンドロと、この映画だ。そもそもどちらも本質は同じーーベビー(善役)とヒール(悪役)がはっきりしてて、観客は主人公に自分を重ね、筋書きがわかっていても最後に愛と正義が勝利することにカタルシスを得るのだから。
ルチャ・リブレとは自由への闘いであり、即ち1人の勝利ではない。マスクを捨てママの衣装を身につけ、「素顔」のドラァグクイーンとしてリングに立ったサウルの闘いは、ママになり代わって惨めな人生を塗り替えようとするものだ。冒頭の雨はその啓示。勝者になれないサウルは自分の使命、見捨てられた者の代弁者として闘うことを知る。そしてソープ・オペラの主人公カサンドラが、カサンドロに生まれ変わるのだった。
けど、リング外の現実にわかりやすいヒールはいないし、カタルシスはない。哀しいかな、カサンドロが攻めでもサウルは受けだ。母と同じく家庭を持つ男を愛し、その男に捨てられるサウルはずっと母の、「女の人生」を歩んでるといえる。サウルが女子レスラーの指導を受けるのも納得。
サウルにとって、父はエル・イホ・デル・サントである(父は最後の方まで顔を見せないマスクマンだ)。憧れのレジェンドとの対戦は、母が待ち焦がれても叶わぬ男との再会。サウルはその大舞台で父を取り戻そうとするが、デル・サントと観客の心は掴めても、母と父のメロドラマは悲恋のまま。
哀れなロールモデルを失った後は、チャンピオンになる試合も登場せず、カサンドロが同じ立場のファンのモールモデルにはなるものの、映画は敢えて無情な孤独を見せつける。流れるのは哀愁のマリアッチ。リング上にキャンプな自由があってもその外側に自由はまだない。でもだからこそ、ルチャドールは闘い続けるしかない。監督ロジャー・ロス・ウィリアムズはドキュメンタリー『ぼくと魔法の言葉たち』もこれも「自分を代弁する何かの力」、それと共にある現実の苦さなんだなあ。
ルチャ界描写や試合シーンはさすがしっかりしてた。プロモーターが胡散臭いけど悪徳とまでいかないとか、エル・イホ・デル・サント(ご本人!)が人格者だとか良い。もちろん相手のプロが巧く見せてるのだろうけど、ガエルは殆ど自分で技をこなして(受けて)いるのがすごいよ。
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