表現が罪を裁く、それ自体が傲慢な思い上がりであり、白も黒も正しさも過ちも私も他人も、その結末にそれほど意味はなく、それぞれが生きていく茨の道をただ誠実に映すのみ。イーストウッドと共にかつて映画と呼ばれた純真な表現は静かに退場していく。
グロテスクに殺される被害者を娘に演じさせるイーストウッド。愛する者を徹底的にいたぶる歪んだ愛情は健在。サディストなマゾヒストがイーストウッドの作風(性癖)。
素人とイーストウッドの組み合わせもナチュラルにヤバくて好きだが、名のある確かな役者を贅沢に配置した映画が最後の作品で本当に良かったと思う。これが「映画」の終わり。ありがとうございました。