世の中の大抵のことは真実はどうなっているのかわからない。
この映画だけにとどまらず、それは今、世間をにぎわせているあらゆる話題において、正鵠を射ている表現だと思う。(ただ、この「真実はわからない」という諦観が、ある意味世の中の混乱を産み、ただの憶測と事実の境目を曖昧にしてしまっているとも思う)
そもそも、この事件の場合、彼が陪審員に選ばれなければ思い出すこともなかったはずで、そう考えると少しは浮かばれる気もするが、そうでもないのかもしれない。
年末にこたけ正義感の「弁論」を観てから、証言というものの危うさについて考えていたりする。陪審員も半端な気持ちで受けるべきではないが、証人も人助けで受けるべきものでもない。
誰ひとりとして完全な悪人はいないように感じるからこそこの結末は胸にしこりを残す。