【サキュバスから覚めない】
2に続き、アマプラ見放題にて久々に。リプリー個人の物語としては、これが終章ですね。で、三部作でイチバン救いがないという…D・フィンチャーのイマイチな映画デビュー作。
脚本制作の二転三転から始まり、完成までタイヘンだったようですね。その経緯を知ると、イマイチな仕上がりも納得だが、だからって映画がより面白く感じられるわけでもない。
エイリアンの造形は過去イチよく出来ているし、映像の仕上がりはカナリのものだと思う。
でも、囚人たちのキャラを立てることと、対立関係を際立たせることが巧くないなあと。
リプリーよりむしろ、男たちの人間的な滋味がほしかった。なんか、記号的人物が右往左往している様子で、フィンチャーってこの時から既に、人物の掘り込みがどうにも…。
凶悪犯罪者が揃っているなら、もしやエイリアンに勝てるかも?という対戦バランスにすれば熱くて面白かったのに。自爆キャラとか出そう。キャメロンだったらやった気がする。
それ以前に、戒律を保っていた男たちがリプリー乱入で、皆が潜在的強姦犯にコロリ寝返る…てコワさを仕立てた方がリアルだし、一作目のテーマから新展開にできたのではと。
人間とエイリアン、どっちがより、強姦魔なのか?
にしても残念なのは、折角一作目であれだけ苦労して、レイプリベンジムービーとして勝利したのにナゼ?と首を傾げるあの結末。しかも、それは目覚める前に決まっていたわけでしょう?二作目であれだけ苦労して生き延びた仲間も、寝ながらアレしちゃっているし…。
リアル、といえば、現代から見れば確かに、女性が搾取されている、或る現実を突きつけてはいるかと。でも、それだけを見せたところで、どうなん?と思う。
一方、宗教色を抑えて、男の禁欲集団を描きたかったのかな?しかしどうも中途半端というか、リーダーの一喝で大人しくなっちゃうって、どんな洗脳教育をされていたのだろう?
禁欲を強制されても、本能は消えないから歪んで発露されてしまう。本作公開時はあまり騒がれていなかったようだが、カトリックの慢性的な性虐待事件をみれば、明らかでしょう。
どうにも半端な触感に困惑する。一作目は“性と機械”バイオメカノイドという強烈な異形美、二作目は戦争アクション、愛の闘争としての熱さがあったが、本作は、要は何の映画なのだろう?
シガーニーさんは納得して主演した筈だが、“坊主で逆ハーレム”がやりたかったのかな?
<2024.1.11記>