序盤、真っ暗な部屋の窓に向かって立つシュテファンが背後から映されたシーンで、確かめるように「ここが俺の家だ」と言ったとき、これは、どこを居場所とするか、すなわちhomeとするか、という話でもあるんだ、と思った。それは、映画の中では、移民であるシュテファンが異国ベルギーで暮らすということから示されるテーマだっただろうけど、私は、もっと個人的な、例えば血縁家族の暮らす実家ではない場所でhomeを作る、その可能性についても思いを巡らせた。レストランの友人や農園の女性や整備工場のおじさんたち、姉、シュシュ…。スープを通じて、あるいは偶然の出会いから、シュテファンの周囲のささやかながらも豊かな繋がりが示される時、ここブリュッセルが、異国からやって"来た"シュテファンの「家」、homeであることが優しく確かめられていくようだった。そのさり気なく美しい、温かい瞬間瞬間の描写と、度々差し込まれる雨や木漏れ日のシーンが本当に素晴らしくて、とても心地の良い映画体験だった。
原っぱで、整備工場のミハイが手術を受けた後に見た夢について話したときにシュテファンが言う、「みんなの気持ちがミハイの心に届いたんだ」という台詞の温かさにも、胸がいっぱいになった。具体的な言葉では語られないけれど、確かにそこにある有機的な人々の繋がりに、その平凡で尊い豊かさに、静かに胸を揺さぶられる、すごく好きな映画だった。
プログラムにあった、Director's Noteの内容も良かったのでメモ。
「(ダナ・ハラウェイの「分厚い現在」という考えを引用しながら)コケは、『太く繊維状の今』を語るための強力なメタファーとなる。未来と過去に複雑に縛られながら、今を生きている。」
「もしかしたら、注意深さは愛の前提条件なのかもしれない。」
「もうひとつの未来を思い描き、もうひとつの物語を語り、もうひとつの世界を"世界化"するために、映画ほど適したメディアはないと思う。」