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Hereのyskのレビュー・感想・評価

Here(2023年製作の映画)
4.5
感覚が研ぎ澄まされる映画。「名前」というキーワード。二人の周りの関係性を対比的に描いている。

人や物や出来事に関する「名前」は知識を持つという意味で知っていたほうが良い時もあるし、逆にそのもの自体を見つめるという意味では知らないほうが良いときもある。
例えば植物の「名前」を知っていれば、森に対して敬意が払えるし、逆に肩書のような「名前」を知らない方が互いに親密になれるということもあるように。

シュテファンがシュシュに初めて出会ったのは中華料理屋だ。シュテファンは習慣にしている散歩を通して、いろいろな人と世間話をしながら、けれどそれ以上深入りすることはせず、一定の距離を保つように打ち解けていた。この時まではシュシュもそのうちの一人だったように思う。もしかしたら「中華料理屋の娘」という肩書で彼女を見ていたのかもしれない。

その後いつもの散歩の途中、偶然森でシュシュと再会する。その時「蘚苔学者」とシュシュは名乗っているが、シュテファンはそれだけで彼女を見ることはできなかった。彼女はあのとき話した「中華料理屋の娘」でもあるからだ。そこで肩書という「名前」は一旦保留されてしまうのだ。

そしてこの作品の一番のメインの森を歩く場面が始まる。

シュシュはシュテファンにとってある種のマイクロスコープのような存在として、今まで意識の外側だったミクロな別世界へと繋いでくれる。シュシュの目を通して、鑑賞している自分もシュテファンとミクロな苔の世界に感情移入していく。それは今思えば南方熊楠が「やりあて」た流動的で曖昧な縁起の理法を彼女の知識を通して覗き、シュテファンの身体性で共振するという癒やしのシーンだったのかもしれない。

「名前」はそのものの輪郭を明確にする効果があり、それは頭で考えるときの材料にはなるけれど、共感や共振からは遠ざかってしまう。

この映画を見ればその2つの極のどちらかに偏ってしまった自分の思考や感覚が調律していく。また目の前の世界をニュートラルな状態で捉えていける。そういう映画な気がした。
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