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バティモン5 望まれざる者のotomisanのレビュー・感想・評価

バティモン5 望まれざる者(2023年製作の映画)
4.1
 ナチスも一部の市民に強制退去を迫ったが「移転先」の確保はした。ドイツ人にできてフランス人にできないのは行政であり「配慮」である。
 更にナチスは彼ら退去民に与える決着を見据えており、それを目的として遅滞なく措置を実行する組織と手続きを揺るがせにしなかった。

 いっぽう、あるいはフランス人ならでは、と言った方がいいかも知れないが、一地方自治体の首長の手前勝手な強制執行が、最終目的(難民などイスラム系の新来住民をどうしたいのか?それとも彼らをどうにかする事は目的でないのか?)もはっきりしないまま議会と司法を除けて警察を従え、革命的に手続きを無視して行われる。
 その「革命的」な事にフランス地方行政当局は弱いのかシビレるのか、長いものと見て巻かれる所存なのか、司法も議会も抵抗らしい抵抗を示す事がないようだ。当然?執行対象外の市民はシビレ切って、その「革命」を喜んでいる?
 市長は「革命」行動がやがて「バティモン5の壮挙」としてSNS受けでもすることを期待するのであろうか?そこからさらに、速やかに「厚生大臣になれ」、いづれは「(ドゥーチェ、じゃなかった)大統領になれ」ピエール主義を掲げて「パリに進軍せよ」へと世論を沸かせる妄想でも芽生えるのか?革命には独裁のエピソードが欠かせないし。

 パリ郊外のベッドタウンのような街らしいが、イスラム系住民が集まっている老朽アパートを巡って、市長は住民を追い出して、新たに核家族向け住宅でも建てたいらしいが今の住民への配慮はないに等しい。
 それに怒る新来住民の代表アビーが次の市長選挙で対抗出馬するという。物語のこのフレームはいいのだがその先、なにより進行中の出て行け=出て行くもんか、焦眉の問題であるから、選挙戦も絡んだ両陣営の謀略、衝突、事件、事故や人間関係、特にイスラム系新来者と古くからの市民との関係の良くも悪くもな変化があれこれするはずであろうに、当然あるべき発展波及は全く無視されている。

 只々市長の独裁者ぶりばかり描かれて、おそらく司法も警察も面々の内心は市長と似たり寄ったりの外人(非フランス)嫌いなんだろうとは想像されるが、こうした偏った姿勢は実際のフランスのどこにでも多かれ少なかれある事なのかもしれない。
 そして、アラビア語とフランス語、言葉の通じない者同士、何とかしてくれと手続きも分からず迫り、他方では何を求めて来るのかよく分からず、勝手を言ってくるな手続きを踏めと一方的に撥ねつける応酬になり、お互いただ腹を立て合うだけになっているのではないか?

《そこにもう一つ、どこにでもあるんだろうが死んだ先代市長のごとく、汚職だの政治団体内部や議会とのなんだかだの、ついでに勢力争いまで、後ろ暗い部分がいろんな方面に澱みを作って疎通を妨げる基になる。これはこれで別稿を立てて、新たな物語で斬り込むしかない筈だ。》

 そしてある時ある町で、それまでは新来者側がキレて暴動になって来たのが、逆に行政側がキレてしまう。
 これはシャルリ・エブド襲撃の裏返しか何かか。日頃の新来住民たちの無理無体「表現」にキレた市長が行政テロで新来住民らを襲い、新来住民側が選挙戦を通じて行政陣の無謀を告発してゆく、という展開を想起させるのだが。
 しかし、この関係も面白い試みではあるが、どこか筋違いというか無理な先行きな気がしてならず、そこは監督も承知なんじゃないか?

 結局、物語の決着を途方に暮れた男、ブラズによる市長私邸襲撃とその暴力行の空振りへと流し、以前は彼と一心同体のようだった市長選立候補予定者アビーのブラズ的絶望、ありがちな、おそらく極めてありがちな絶望的暴力への転落との決別を語ると共に、独裁者もどきな現職市長ピエールによる立ち退きテロに端を発し自身に差し迫ったブラズ単身暴動へと帰結した事による衝撃と、これら「帰するところの分からなさ」の発見、おそらく発見なんだろう。そうと思わせるところを描くに留める。
 ただ、その市長における「分からなさ」そして「分かろう」とする事には、聡明であるはずのこの小児科医の、帰するところには当然、発するところがあるわけであって、その間でこれまで幾つもあったはずの選択肢、さらには、それ以前に何が双方間の意思の疎通と確認において足りなかったのか、妨げになって来たのか?を思い返させる力があるのかどうか。

 いったい、強制退去事件もブラズ襲撃事件も、「まだ戻る道はある」と監督は示したいのか?監督自身があなたならどう受け止めるか?と答えは自ら案出してくれ、あなたの言葉で語ってくれと促して来るようだった。
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