ファンタジーの風情を終始保つ「アンチ大きな物語」としての小品。主人公二人の行動が徹頭徹尾DIYでパンクで非生産性に徹している。
否が応でもバフティヤル・フドイナザーロフ『コシュ・バ・コシュ』が想起される。本作はやはりオマージュでもあるよう。『コシュ・バ・コシュ』でみられた、割とどうしようもない男性が力と屁理屈で女性を黙らせようとする構図。時代や風習として五万とある構図。あのとき女性はロープウェイの上からぽんぽんと果物やワインを捨てることで抵抗を表したものの、物語全体としては「だとしても受け入れざるを得ないのか」という諦めまじりの問いを内包させていた。さらにラストはロータリーをぐるぐる追いかけっこする俯瞰ロングショットで答えを明確にしない。
それらを根底から放擲する物語としても『ゴンドラ』は成立しているのではと思った。ここでは主人公二人の間にはなから異性は介在しない。彼女たちは互いを楽しませるための仕掛けを次々と競い合って作り出す。仕事中だし商売道具のゴンドラだろうがという観る者の突っ込みも無視するかのように。雇用主は生産性と搾取、父権性の象徴として対置され、徹底的にこき下ろされる。