無影

ありふれた教室の無影のネタバレレビュー・内容・結末

ありふれた教室(2023年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

ゼロ・トレランス方式という言葉の印象的な反復と、警察による生徒の学校からの排除という締めくくり。これらから伺うに、本作のテーマには、異なるバックグラウンドや価値観を有する者たちの共存と衝突があったと思います。学校、特に公立の小中は、たまたま近所に住んでいた子どもたちが思想や生い立ち、生活水準等に関わらず寄せ集められて一定の共同を強いられる稀有な場所ですから、そのテーマを描くにはもってこいの場所ですね。
ゼロ・トレランス方式とは、90年代にアメリカで生まれた教育方針で、細則で生徒が遵守すべき義務を予め定めておき、それに反した者は例外なく処罰する(停学や退学等)やり方だそうです。一見犯せば罰せられる行為が明確にされているので非行の抑止の点でも良いやり方のようにも思われますが、少なくとも小中学校は個人として未成熟な生徒を教育する場であって、それにもかかわらず一方的に義務を負わして罰則を以て遵守することを強いるのは生徒を成人並みの成熟した個人として扱う点で矛盾しているのではないかという疑問が出てきます。これは、立場上どうしても上下関係が生じる教師に対して真っ当に対抗し得るほどの思考や言語を持ち合わせているとは通常期待できない生徒を完全な義務主体として扱えば、教師の懲戒権の濫用に繋がるのではないかという点にもわたります。その点、本作の学校の生徒たちが学生新聞を発行して先生たちを糾弾するジャーナリズムを有していたのは、日本ではなかなか見られないので輝かしかったです。
ただ、学生新聞の糾弾は窃盗事件への対応に苦慮する先生たちを一方的に悪と決めつけるもので、生徒による先生への不寛容の現れでした。しかし、それを招いたのは、男子だけを犯人と扱ったり、移民の背景のある生徒を個別に呼び出したり、衣服の一部が映っただけでそもそも撮影の正当性も怪しい映像だけで事務員を犯人扱いしたりといった、先生側の不寛容にもありました。異なる立場や価値観同士の不寛容の押し付け合いが、最終的にあの警察による物理力による排除という最大の不寛容に繋がってしまいました。
では、その不寛容を乗り越える手段はあったでしょうか。そもそも窃盗は場所を問わず悪いことだから一連の不寛容も仕方ないと諦めることもできるでしょうが、それが好ましい結果を導いたとはいえないことは、本作を観た人であれば思い至るところであると思います。
本作には、そのヒントが2つ示唆されていたように思われます。1つは、議論です。ノヴァク先生は、しきりに生徒から意見を聞いて、議論形式で授業を進めていました。また、トーマスの処遇を決める際も、学級委員の生徒を含めて先生たちによる議論が行われました。議論は、そもそも自分と相手がどこで考えの違いがあるのかを明確にし、それをどう埋めていくかを考えるための有効な手段です。もし、先入観で男子だけ持ち物検査したり、学級委員に怪しい生徒を告発させたり、不確かな映像だけで事務員から事情聴取したりといった一方的な手段を採らずに、窃盗対策や犯人捜しについて生徒も巻き込んだ議論をしていれば、皆が納得する合意点を導き出せていたかもしれません。それは、関係者全員が関与して納得したという点で、皆にとって寛容であるといえそうです。しかし、議論には、参加者の力関係やその場の雰囲気で結論が歪められるおそれが強く、導き出された結論が真っ当であると担保できるほどの確かな手段ではないのではないかという問題があります。実際、トーマスの処遇を決める際には、ノヴァク先生の主張も虚しく、ゼロ・トレランス方式を是とする校長たちに押し切られて停学になってしまいました。ゼロ・トレランス方式に従った処分は不寛容による解決ですから、議論でも皆にとって寛容な解決策を導き出すことはできませんでした。
そこでもう1つ考えられるのが、問いは問いのままにしておくという態度です。これは、法学的には、「疑わしきは被告人の利益に」という原則に繋がるかもしれません。つまり、不寛容な手段をとることが明らかに正当付けられる場合以外には、寛容な態度をとるということです。例えば、トーマスの処遇を決めて会議。そもそも証拠とされる映像は決定打になりませんし、仮にそれが証拠になるとしても、教育の観点からトーマスを停学にすることが本当に好ましいのか明らかではありません。そういう場合は、停学という不寛容な手段は採らずに、これまで通り学校に通わせるという寛容な対応をするのです。また、問いを問いのままにしておくというのは、その場しのぎの解決に堕することなく、いずれ真の解決が導き出されるのを待つということにも繋がります。ノヴァク先生に手渡されたルービックキューブをトーマスが時間がかかっても解いたように、問いを発し続けることで、ちゃんとした答えが見つかるかもしれません。もちろん、それを待っている間に窃盗が続くかもしれませんが、確かな証拠もなくその場しのぎで犯人らしき者を追い出してもなお窃盗が続く可能性はありますし、窃盗自体は盗まれないようにする対策も可能ではあります。誤って犯人扱いされた場合の生徒への精神的ダメージや教育機会の逸失を考えると、直ちに不寛容に堕することなく、確かな証拠が出るまでは寛容な態度であることが、もしかしたら最適な解決策なのかもしれません。
こんなことも考えさせられながら、教室からも職員室からもどんどん追い込まれていくノヴァク先生の心境の描写が緊迫感があって胃が痛くなりました。
無影

無影