エジャ丼

ありふれた教室のエジャ丼のレビュー・感想・評価

ありふれた教室(2023年製作の映画)
3.9
「先生(わたし)、おかしい?」

新任の若手教師ノヴァクは、学校で度々起こっていた盗難の犯人を特定しようと隠しカメラを設置。映像に映った証拠をもとに容疑者のある人物に問いかけたことをきっかけに、クラスは次第に崩壊していき…。

こんなもの見せられてしまったら、学校の先生になりたいと思えなくなってしまう…。学校もまた社会の縮図だということがよくわかる。というか、そういう構造の映画。大人1人が、何十人の子供たちを一度に面倒を見る。四方八方に向く矢印を、同じ方向へ正しく進むよう、何度も何度も、ずれては修正して、ずれては修正して、、、子供に一生懸命になっていると、その背中を刺すのは周りの同僚、そして子供の親たち。常に四面楚歌とも言える状況に太刀打ちしなければならないのが教師の役目。しかも、全てに真正面から。

それだけ、広い範囲で影響を与える立場にいるからこそ、一つの選択がその後を大きく変えることもある。
「あの時盗難を見てみぬふりをしていたら」
いや、
「衝動的な正義感に駆り立てられる前に、絶対的な証拠を集めていたら」
いや、
『でも、誰かに盗られたのは事実だし』

常に中立にあるはずの存在が、真ん中から少しずれると、学校、教室、職員室、それぞれの環境は次第に捩れを帯びていき、それまで保ってきたバランスは互いの存在を主張し争い始める。それが分断と対立。それは1クラスにおいても起こりうる。

“学校の先生はブラック”とはいうものだが、これほどまでに周囲を巻き込んで収拾がつけられなくなると、学校の先生、というよりも学校という場そのものがブラックな環境となる要因を孕んでいるようにも思えてくる。ノヴァクが取った行動も、彼女の正義感や信念に基づくものなのだが、果たしてそれが正しいかどうかについては言及されない。というより、判断をすることは容易ではない。そういった問題に対し、第三者の視点で論ずるジャーナリズムの是非についても、学校という小さな社会を舞台にしながら痛烈に描いていてしんどかった。ノヴァクのプライベートを一切描写せず、ロケーションもほとんどを学内に絞り、長めのカットを用いるなどあえて閉鎖的に描いているところも良かった。そしてその何とも言えない歯痒さ、むず痒さを練りに練った後、その答えに決着をつけないあたりは、この物語で提起したい問題を読み取るに、必然的とも言えるだろう。総じて、大変だぁ〜。