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ありふれた教室のarchのレビュー・感想・評価

ありふれた教室(2023年製作の映画)
3.5
冒頭、まるでオーケストラの演奏前に行われるチューニングのような劇伴が流れる。画面には教室ヌヴァクと生徒の面々。手を叩き一連の儀式のような合図とその構図は、まるで指揮者のよう。このコントロールされた空間、秩序とバランスのイメージは逆説的にその後の混沌を予感させられる。


学校側の対応、ノヴァクの選択によって事態が悪化していく流れがサスペンスフルに描かれており、とにかく止まることなく矢継ぎ早に事態が進展していくのが凄い。想像以上に子供は聡く、大人は感情的で欠陥がある。その前提が省みられないからこそ、学校側の対応は全て裏目に出るし、子供側も大人に完璧な対応を求める。
印象的なのは、子供側の振る舞い。自分が想像する以上に皆ものを考えていて、大人の権威を信じていない。教室が実際ある種の権威によって成立していた場所と考えると、いまや教育は昔ほど簡単に成立しないのだと思わされる。
子供の検閲や抑圧への反発には一定の理があるし、それを教師が"正しさ"ではなく、権威で押し込めようとするのだから事態は悪化するのだ。一方で、子供側も正しさに取り憑かれるし、対話に応じようとしない。どちらが悪いかと言えば大人だが、今の時代に「教師」をすることの難しさは計り知れないだろう。
監督のインタビューにあった言葉を引用する。
「ヒステリー的な状況を避け、冷静に話し合う機会が少なくなったと思う。相手に弁解する機会を与えようとしない。人の関心を得るために爆弾発言をしたがる人があまりに多いと思う。 」
今の時代に、このことを子供に教えられる人間がどれだけいるのだろうか。

教師は指揮者ではなく、子供も演奏者や楽器ではない。棒を振るえば鳴る場所ではないのように、教師と生徒に正解といえるコミュニケーションは存在しないのだ。






本作においてキーワードとしてアルゴリズム(正解を得るための正しい手段)があると思う。数ある選択肢がノヴァクや学校側に与えられ、それを選択し続けていくことを観客は見せられる。どこにターニングポイントがあったのか、どうすればいいのかを常に思考させるように作られている。ルービックキューブはまさにその象徴として描かれているわけだが、オスカーとノヴァクを繋ぐものでもあるそれが、彼らの修復不可能な関係性の表象として機能してしまうのがひたすら悲痛だった。
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