耶馬英彦

左手に気をつけろの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

左手に気をつけろ(2023年製作の映画)
3.5
 犬笛は、特定の動物だけに聞こえる周波数を出す笛で、人間に聞こえず、目的の動物だけに聞かせて、呼び寄せたり、指示をしたりする。
 本作品には、犬笛と似たような、こども警察を呼び寄せる笛が登場する。子供を殺すのが好きな人にとっては、魔法の道具だろう。鎌や斧、鉄筋といった武器を用意して笛を吹けば、親や保母といった責任者の管理から離脱した子供たちが集まってくる。殺し放題だ。
 そんな不埒な想像をしながら鑑賞したが、シリアルキラーは登場せず、子供たちは無傷でいられる。元々、ほのぼの、のんびりした作品で、コロナ禍が我々の日常に何をもたらしたのかを、象徴的な映像で問いかける。

 こども警察はマスク警察の比喩で、政府のプロパガンダに踊らされて、マスクをしていない他人を咎めた人々の愚かな姿である。
 日本の警察は一般に民事不介入を言い訳にして、ストーカーなどにも対応しなかった。被害が出たら、刑事事件として対応するという姿勢であり、ストーカー事件の場合は、被害が出たのはイコール被害者が殺されたという訳で、多くの場合、警察の無策が非難されている。
 マスク警察は、警察と逆で、被害がないのに相手を攻撃する。それもわからないでもない。自動車の無謀運転をする人間は大変危険であり、取り締まらなければならない。そのために道路交通法が定められている。しかしマスクをしない人間が危険かというと、それは一方的な思い込みに過ぎない。まだ何も断定されておらず、道路交通法のようなマスク義務法みたいな法律は存在しない。マスク警察には、他人を取り締まる根拠も権限もないのだ。

 こども警察の比喩は、マスク警察にとどまらず、不倫警察やヘイトにまで及んでいると思う。他人の不倫を咎めたり、税金で補助されている外国人や生活保護の受給者まで、攻撃の対象にしてしまう、世間という怪物が、我々の日常から自由を奪おうとしている訳だ。
 LGBTだけでなく、特定の特徴を持つ人々をカテゴライズし、差別する風潮に対して、危機感を示しているのが本作品である。
 このところ、なんとなく世の中が不自由になっていると、じわじわと感じている人もいるだろう。被害を受けてもいないのに他人を非難したり、誹謗中傷の罵詈讒謗を浴びせかけるネット住民や、立場の弱い店員などに対して怒鳴り散らす高齢者の姿をときどき見かける。権威主義のパラダイムは、全体主義に直結するものだ。本作品は、戦争前夜みたいな嫌な予感を、穏やかな物語にしてみせたものだと思う。
耶馬英彦

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