純真で頑張り屋さんの子どもたち
子どもたちを支える真摯な教員たち
その姿に何だか涙が出てくる。
涙が途切れないのだ。
「自分もこんな純真だったの?」
「先生方ってこんなに自分たちのことを真剣に教育してくれていたの?」
昨年、小学校で子どもたちと交流する機会があり、その時も思っていたことなのです。
懐かしさとある種の驚きを持って画面の中の「小学校」を見つめていた。
日本人である私がそうなのだから、外国人からは驚きと羨望の眼差しで「小学校」の教育システムを見つめているに違いない。
東京都内の小学校の1年生と6年生の子どもと教員にスポットを当て、コロナ禍の1年間を追ったドキュメンタリー
小学校という「小さな社会」。
それは"THE MAKING OF JAPANESE"という「日本人をつくる」ための装置なのだ。
日本の教育の強みは、平均的な学力の高さと、日本人の生活様式を学ぶ「特別活動」(特活:TOKKATSU)にあるという。
「6歳児は世界のどこでも同じようだけれど、12歳になる頃には、日本の子どもは“日本人”になっている」
特に特別活動は、日本の教育システム特有のことのようで、外国からは驚きと羨望を持って見られるらしい。
特別活動とは、給食や清掃、入学式や卒業式、運動会や学習発表会など行事のこと。
日本人であれば当たり前に経験してきたことですよね。
しかし、多くの外国では特別活動はないようで、かなり「特別」なこととして映るらしいのです。
実際、外国の中には、こうした特別活動を取り入れた日本の教育システムを取り入れているところも増えているらしい。
「イギリス人の父と日本人の母を持つ山崎エマ監督は、大阪の公立小学校を卒業後、中高はインターナショナル・スクールに通い、アメリカの大学へ進学した。ニューヨークに暮らしながら彼女は、自身の“強み”はすべて、公立小学校時代に学んだ“責任感”や“勤勉さ”などに由来していることに気づく」
(公式サイトより)
日本人の「勤勉さ」「責任感」「秩序」「規律」といった「強み」を生み出している日本の教育システムの基盤が小学校にあるのだ。
その驚きと羨望をカメラは丁寧に追っている。
説明するナレーションはない。
子どもたちと教員の姿と言動で全てを語っている。
私たちが当たり前に学校でやっていた給食や清掃、学校行事が、世界的に見れば「特別」だったのだ。
「いま、小学校を知ることは、未来の日本を考えること」
"THE MAKING OF JAPANESE"の装置として機能してきた日本の学校。
この映画では、「特別」なこととして「強み」を生み出すポジティブな「正」の教育システムとして映し出されている。
一方で、学校という集団生活の中で、「画一的」で「平均的」な日本人を生み出し、「秩序」という同調圧力の抑圧的な強さは、個人を苦しめる「負」の作用をもたらしている。
不登校やいじめ、創造性の不足、多様性への配慮不足など、多くの問題も抱える。
問題ある子どもを指導する「生徒指導」なんてのも日本特有らしいです。
体罰なんか当たり前にあったのに、今じゃ一発免職ものです。
「負」の側面への対応で機能不全に陥りそうなのも今の日本の教育システムであろう。
教員の休職増やなり手不足も学校の機能不全を示しているのだろう。
教科指導だけではなく生徒指導で疲弊してしまう教員も多いと聞く。
「日本人」を生み出す日本の教育システム。
それを考えることは、日本の未来を考えることにつながっているのだ。
子どもと教員の健気な姿を見て、涙を流してばかりもいられないのだ。
多くの大人が観て、日本の教育について考えてもらいたいドキュメンタリーです。
教員が観たら「学校はこんなきれいごとばっかじゃねーよ!」って言うかもしれませんけど。
とりあえず、私は無性に給食が食べたくなっちゃいました!
(そこかい!)
余談
とりあえず、私は1年生の担任の先生がお気に入りでした。
子どもみたいによしよししてもらいたいな。
(そんな目で見てたんかい!)