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あんのことのmorettiのレビュー・感想・評価

あんのこと(2023年製作の映画)
4.0
わたしはお上がドヤ顔でやることに批判的か懐疑的な人間なので、ブルーインパルスがコロナ禍の空を飛んだ時に「あほか」としか思いませんでしたが、4年前のあの空の下で、こんなに哀しいことがあったとは…
 
もうコロナ禍の日々のことなんて忘れかけていますし、自分と自分の近くのことしか考えていなかったのをまざまざと思い出させてくれるのが「あんのこと」。
 
宣伝ビジュアルだと、タイトルに取り消し線が引かれているデザインです。

ただでさえ社会の隅で消え入りそうな女性が、コロナ禍をきっかけにさらに追い込まれ、みずから命を絶った。
その誰も知らない彼女の短い人生を、知らないままにさせないし、なかったことにさせてはならない、という入江悠監督の入魂の一作。
香川杏というひとりの女性の最後の日々を追いかけた丁寧で真摯な映画でしたね。
 
映画の語り口はきわめて禁欲的で、手持ちのカメラで対象を追いかけるタイプのダルデンヌスタイル。ただ、暑苦しいほどの接近はなくて、それこそソーシャルディスタンス、2mくらいの距離感が絶妙に冷徹なまなざし。
現在時制に徹したストーリーの切り取り、ロケーションに潜む陰影と光をリアリズムで捉えた撮影、杏の生活の荒廃を表現した美術や衣装、それらがすべて、誰も知らない杏という女性の人生を、映画という形に昇華すべく奉仕していて、そこが大変好ましかったですね。
それこそコロナ禍で誰もが自分の無力さを自覚した中で、映画になにができるか、ということをある意味で突き詰めた作品になっていると思います。
そしてそれはコロナ禍が終息した今だからこそ、映画が木鐸たりえるのではないか。
 最近そんな日本映画が増えた気がします。
あとちょっと「あしたの少女」を思い出しました。

ともかく、実在の女性から着想された香川杏というキャラクターの生を目の当たりにした、という重責のようなものを背負って映画館を出てきたし、毎日の積み重ねとして懸命に日記を書いていた杏さんの姿を心のどこかに留めておきたいと思いましたね。
 
わたしは「SR」シリーズ(特に3作目)や「ビジランテ」みたいな、社会の暗部や底辺を扱った入江悠作品が好きなんですけど、入江監督のこのプロレタリアート路線では出色の一作ではないでしょうか。
映画のわかりやすさや技巧的な面白さを全部退けて、杏の人生にフォーカスした潔さに覚悟を感じたりしました。
ともすれば、レクイエムの趣さえあったように思います。
 
そしてタイトルロールに扮した河合優美さんね!
「ふてほど」(観てない)でお茶の間に発見された感じですけど、堂々の主演作にして代表作じゃないですか。
ネガティブな方向性のキャラクターが映えるタイプの俳優さんだと思いますけど、「由宇子の天秤」や「冬薔薇」で河合さんが扮したいわゆる“底辺”のキャラクターを煮詰めたようなこの役は河合優美しかいないんじゃないかというキャラクターとのシンクロぶりだし、眼の表情から指先の動きまでが“杏”でしたね。
ラーメン食う時の箸使いとか超リアルでしたし、母親に抑圧されて育った彼女の心象を体現した動きのミニマムさは見事なキャラクター表象でした。
最期の心を見失った杏のさまよいは、撮影の素晴らしさもあって、胸に突き刺さって取れない棘のようです。
「愛妻物語」のうどん娘とか「佐々木インマイマイン」の苗村さんとか、そのキャリア初期からちょっとの出番で印象に残る存在感であった河合優美さんのブレイク具合に河合優美無双を唱え続けてきたわたしは喜んでおります。
もうこの世にいないモデル女性に誠実にアプローチし、それを心身を使って表現する仕事の負荷はいかほどかと想像します。
 石原さとみも「悔しい、キィー‼︎」となってしまうような名演でした。

…ちゅうことで筆を置いてもいいんですが、小さくない瑕疵もなくはないところではあります。

生活課の刑事で杏の社会復帰に尽力する多々羅、ザ昭和のガサツなおじさんだけど人情家で人のためなら自らルールを破ろうとする男なんですけど、一方で自らが主導する薬物断ちの自助グループでメンバーの女性に手を出している。そのあたりの描写が多々羅本人とその周辺も含めて中途半端な感じがしました。多々羅を密告したぽい人も2人匂わせていたけどそれだけで終わるし。
早い段階で桐野と編集長の会話で端的に示すとかしていれば、彼の二面性が下手なサスペンスにならなくて済んだのに、と思いました。シンプルに上手くないですね。

またその性加害を告発した雑誌記者の桐野が、収監された多々羅を前に「記事にしなければよかったのか…」とか言うの、それどうなの?と思いましたね。彼が性加害を告発したのと、そのせいで杏が行き場を失ったのはオハナシとしてはつながってはいるけど、別問題じゃね?しかもそのセリフを元Jの吾郎ちゃんに言わせるっていうね。
よくよく振り返ると吾郎ちゃん演じる桐野は記者としてしか杏と接してなかったと思うんだけど、彼なりの葛藤が見えなかったかな。
(最後、ウールリッチのダウンがフェンスで破れていないか心配しました)

コロナ禍によって杏が窮していく中で庇護者になり得た多々羅と桐野の退場のくだりはキャラクター描写も含めてもうちっと説得力ほしかったところ。その説得力のための映画的なクローズアップやカット割りを禁じていたっぽいので、そのせめぎ合いだった気はしますが…。

あとはハヤトくんの母親である早見あかりも急に出てきて、しかも彼女の後ろ姿で終わる、作劇としての建て付けの悪さ。早めに早見あかりは出しとかないといけないのではないか。
彼女の「感謝してる」的なセリフは、杏を見送ろうとしている観客に「はぁ?」をもたらすノイズであったと思います。

ひょっとしたら作り手は杏を追い詰めるもろもろの作為を嫌ったのかもしれないけど、それらが全部後半の展開要素なので、個人的には描写不足による失速を感じつつ、河合優美に引っ張られた、という印象。

そうそう、娘である杏を「ママ」と呼ぶ毒親に扮した河井青葉さんは凄まじかったですね。そのイメージが河井さんにまるでないのでビビりまくりでした。
しかし文句の続きですが、シェルター近くで杏が母親に見つかるのも偶然ぽくて、もうちょい必然が欲しかったかも。シェルターに入居する時「実家が近い」と危惧するのを入れるとか。ま、それもわかりやすいフラグになってしまいますけど…。
彼女が得た安定の中に危惧される現実をそのまま出す方が本作の作劇には合っていると思うんですけど、同時にそれがフラグとして機能してしまう、という危惧はあったのかな。

ま、以上はわたしがこの映画に感じた齟齬ですけど、観終わった今ではまるで杏さんが実在の人物であるように思っているし、彼女の死んだような目が光を取り戻しコロナ禍に突入し困窮の中預かった子供のために死に物狂いで奔走していた姿は、とても忘れがたく心の中に居続けることだと思います。
お金ないのにめっちゃ赤ちゃん用品仕入れまくっていて…杏ちゃんは生まれながらに優しい子なのよ…

ひさしぶりに何度かスクリーンの中に入れないものかと思案しながら観ましたね。
基本的に社会の不幸=個人の不幸をストレートに描いた映画なので、こういう言い方はアレですけど、いい映画でした。

いろんなこと書いたけど、おそらく切実な思いでこの映画をこしらえた入江監督に快哉を送りたい。

このような人をひとりでも減らせるように、わたしは権力を使います!
(7月7日に選挙権行使予定)
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