本作のステイサムは、まるで一度走らせたら誰も止められない《因果応報》という名のプログラムのようで恐ろしい。
ただそれでいて、「野暮だが、善の為に」と口走るような情や恩の為に報いる為に行動する人物として、劇中に描かれる《システムの一部》と化した人々とは区別されて描かれていく。
それはアーサー・グレイとそれ以外の認識の差異に現れている。
彼の行動は、何度も言及されるように「悪い子孫を残した女王蜂を殺すシステム」のようであり、敵対する体制側や彼を追うFBIも隣人の死は発端でしかなく、狙いは背後に蠢く腐敗体制だと考えている。だがアーサー・グレイ視点ではそこに関心が殆どなく、話しても仕方な支部のボスに、亡くなった恩人の説明をしたりする。
例えば『ジョン・ウィック』一作目のようなマフィア一つで殺しの連鎖は完結する訳だが、それがこの映画は大統領府にまで殺しの連鎖が至ってしまう。そこにはシステム的なクールさと恩に報いようとするホットさがある。
そこに作品のドラマ構造的な魅力が詰まっているし、デヴィッド・エアー的な重心の低いストーリーテリングだと感じた。
ビーキーパー、つまり養蜂家というモチーフが本作独特の個性を生み出している。一見して別に養蜂家である意味ないやん、蜂蜜とかミツバチ使って人殺してよ!と不満は残るが、上記したような「女王蜂と制裁システム」のモチーフとして作品に因果応報的なドラマツルギーを用意してくれている。(それはあくまで「ステイサム映画」の補強に過ぎないが)
他にも良かったのは、ステイサムの戦闘スタイルが「群れに紛れ込む」ことだろう。常に戦闘開始はその群れの中で始まるのだ。「おい!」と突っ込みたくなる気もするが、一対多数の画的な面白さと編集テンポの変速の両立になっていて、面白い。
最初のコールセンターはある程度侵入に時間をかけるが、次のコールセンター、あのメインフロアにどうやって紛れたか一切描かない省略の妙は、『トラップ』の脱出シーンを3段階で省略していく手際を彷彿とさせる鮮やかさがあった。
(それでいて最後はちゃんと盛り上げる為にじっくり見せるのが作品のやりたい事の差異になってる)
編集が異様に切り詰められていて口あんぐりって感じだったが、何よりアクションが凄い。
やはりステイサムはナイフアクションなんだと久しぶりに思い出させてくれたのが、タイラー・ジェームズとの一騎打ち。そもそも顔撃たれただろ!からの長い死闘なので、満足度が高い。手数やアクロバティックさとパワー系のバランス感が良く、あの狭い空間だからこそ超超接近戦なのもいい。普通カメラワークの制限の関係で、ああいう狭いところを避けそうなものだが、その制限を一切感じさせないシーンたった。早くも今年のベストバウトだった。
ラストショットはまるで西部劇のよう。文句なし。詳らかにされるのは2つの家族の形、その相対。
エアー的な重心の低いドラマと軽快な編集テンポが見事に調和された快作でした。