浦切三語

陰陽師0の浦切三語のレビュー・感想・評価

陰陽師0(2024年製作の映画)
3.1
学園ドラマです。この映画は陰陽寮を学園に見立てた学園ドラマです。最初に陰陽寮の学生たちが博士たちの授業を受けるシーンが出てきますが、これなんかどことなくハリー・ポッターな雰囲気がありますけど、つまりそういうこと。現代語バリバリな作劇からも言えますが、これはオカルト×学園モノな映画ということで、監督がかつて手掛けたオカルト×学園モノの映画『エコエコアザラク』をマスに向けた作りになってますよね。

別に夢枕獏の原作を学園向けにアレンジするのは方法のひとつとしてアリだとは思うんですが、問題なのはマスを意識しすぎたあまり、オカルト好きや陰陽師好きなコア層のポイントを次々に外していることでしょう。誰が陰陽師に肉弾アクションを期待するんでしょ。これが『呪術廻戦0』なら期待しますよ当然。だけど、これは『陰陽師』なのよ。『陰陽師』ってジャンルで肉弾戦期待する?しないだろ普通に考えて。期待してるお客さんひとりもいなかったと思いますよ。なのにドヤ顔で肉弾アクションをたっぷりの尺で披露されても困るんよ。

あとは奈緒さんが演じていた女王も、平安貴族のしきたりやしがらみから自由になりたいと心の奥底では考えているという、その思想の部分では「いかにも現代人が現代風に解釈したキャラ」として描かれているわりに、行動の部分が「囚われのお姫様」という古典的な領域から抜け出せていないため、凄いちぐはぐなキャラクターに見えてしまう。「本当は寂しかった」だの「私はひとりではなかった」だの、使い古された陳腐な台詞回しにはイライラしますわ。

使い古されたといえば、晴明をテンプレもテンプレな「俺TUEEEE」キャラにしたことで、呪術合戦も物足りなくなってる。呪術という「存在しないのに、存在しているかのように見えてしまうもの」に惑わされて「各々が各々の真実を普遍の事実だと信じきっている」という状況は、我々現代人の暮らす情報化社会に通じる部分がある。その中で晴明は「呪術なんてまやかしだ」「人は見たいものしか見ない」など、当時の価値観からしても異例の思考の持ち主として描かれている。「目に見えないものを事実であるかのように扱うなど、下らない」としてきた晴明が、博雅との交流を通じて「目には見えなくとも確かにあるもの」すなわち「絆の力」で人間は生きているということを学んだ展開にしたいのであれば、ドラマの構築はもとより、もっと「存在しないのに、存在しているかのように見えてしまうもの=呪術」に翻弄されたり、逆に使役して戦うという展開があってよかった。呪術バトルが少なすぎる。博雅側のドラマを通じて博雅の成長を描くのと、晴明側のドラマを通じて晴明の成長を描くのとに時間を割きすぎたというか、そんな感じがしてしまう。

しかしなんといっても不満なのは、嶋田久作さんの扱いですわ。陰陽師に嶋田久作と言ったら言わずもがな「帝都物語」の魔人・加藤ですけども、なんで嶋田さんを陰陽頭に配役しなかったのか。そういうところでツボを外しすぎなんだよなあ。

良かったのは山﨑賢人さんの演技と、幻術世界の「禹歩」描写ですね。
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