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Brother ブラザー 富都(プドゥ)のふたり/アバンとアディのRinのレビュー・感想・評価

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マレーシア版『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と呼びたくはない──クアラルンプールの富都(プドゥ)地区に暮らす聾唖のアバンとその弟のアディ。富都地区のスラム街には不法移民の2世や貧困層が暮らしており、何らかの事情で身分証明書を持てない人も多いとのこと。アバンとアディも出自の都合で身分証明書を持っておらず、苦しい生活を送っている。そんな中、アディがとある事件を起こしてしまい……

移民やスラムに焦点を当て、不幸が不幸に上塗りされていく様子を描く。暗がりに橙色の電球が灯る画面も含めてよくある映画って感じなんだけど、この種の映画がよくあること自体は重く受け止めたい。ソーシャルワーカーの女性が出てくるところも併せて、香港の移民問題を描いた『白日青春 生きてこそ』を想起した。また、聾唖の設定と終盤の悲劇からはマレーシア版『ダンサー・イン・ザ・ダーク』的な趣もある。

しかーしながらですよお、アディが起こす事件ってシンプルに彼の凶暴性の帰結であって、彼らの境遇とは無関係だし無関係だと考えたい(貧民は凶暴だという理屈に接近してしまうから)内容なのだ。一応、背景としては父親との確執があるんだけど、その理由で許される範疇は軽く超えていて、個人的には全然情状酌量の余地なしだと思う。終盤、アバンが手話で自らがおかれた境遇の苦しみを叫ぶシーンがあって、編集的にも「ここが落涙ポイントですよ!」と言わんばかりの感動ムードを醸しだしてくるんだけど、そもそもアバンの不幸を回復不能な形に決定づけたのはアディの凶行じゃんと思って少しも感動できなかった。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』はすべての不幸がセルマの善なる行動の結末として振りかかるから胸が締め付けられるのだ。

台湾映画を観ていると4割くらいの確率でエンドロールに確認できる台湾映画界の裏方のレジェンド・杜篤之(トゥ・ドゥージ)さんが本作でも録音指導にクレジットされていた。確か昨年のTIFFの『幼な子のためのパヴァーヌ』でも録音指導にクレジットされていた記憶。台湾ニューシネマ時代から現代の最新作まで、アジア映画界における彼の貢献は計り知れない。
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