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神の道化師、フランチェスコ デジタル・リマスター版のT0Tのレビュー・感想・評価

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2024.2.7 4-4

素晴らしい。

・家の無い修道士たち
修道士たちには、家がない。これは、彼らの存在や施しの倫理にとって核心である。彼らは、神のみぞ知る「自然」の摂理のなかで、生きていかなければならない。この自然からもたらされる恵みによって小屋を建て食べ物を調達し生活する。

・最も原理主義的なジネプロ
彼は、最も原理的であるがあまり、修道士のコミュニティのなかでも異質な存在である。彼が異質であるのは、徹底して所有の概念がないからである。目の前の他人への慈悲しか存在せず、そこには所有の概念が介在しない。そのため彼は、自身の僧衣を施すだけでなく、他人の家畜の豚の足も切る。身体の所有の意識も希薄である。スラップスティックのような、ジネプロの身体が大男たちによって振り回されるように、彼の身体は彼のものではない。彼の謙虚さとは、このような徹底した所有の概念の放棄である。

・人々の動きの撮り方
とにかく、引いたショットが素晴らしい。人間の空間移動の捉え方は、とてもおもしろい。そもそも、まず自然の空間の中に人間の移動を収めている。人間は思い思い動くのだが!カメラは移動に焦点を当てるのではなく、その移動が生じている空間を撮る。つまり移動は、人間によるひとつの自然現象である。包囲を解除し、村の人々が去り建物がその空間が人間のものでなくなるその場において、ひとり佇むジネプロを映したショットは、この映画のなかでもベストシーンのひとつ。

・世俗と世俗外の対比に対する説明の説得力
世俗外にいる修道士たちの存在を、物乞いをする貧民と捉える兵士は、まさに現代的な(ネオリアリズム的な)世俗観を捉えている。彼らは貧しいのではなく、そもそも世俗と論理が異なるのである(だから修道士たちは世俗に布教する)。世俗の外にいるのは、耐え難い苦悩を一身に引き受けるからである。むしろこの苦悩や、酷い仕打ちを耐えることこそが「完全な歓び」である。これは、わかるようでわからない。だか、おもしろいポイントである。
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