取材対象である人物が魅力的であれば(あるいはその音楽が人々を魅了するようなものであれば)、音楽ドキュメンタリー映画は、出来のよしあしはあれど、ある程度の映画として成立するものだと思っていた。けど、どうやらそれはわたしの思い込みだったみたい。ボブ・マーリーなのに映画がおもろないって、いったいどゆことなんですかっっっ??? ボブ・マーリーのLIVE映像で鑑賞者が没入できないって、いったいどーゆーことなんですかっっっ???
ボブ・マーリーは少ししか登場しないし、映画制作側がLIVE映像を勝手にフェードイン&フェードアウトさせて他の映像やら監督(かな?)のナレとか入れてくるのは困ります。いろいろ思うことはたくさんあるし文句も山のように書き連ねたい気持ちもありますが、そうしたら持続可能な怒り心頭状態になっちゃうのでやめておきます。こんなんだったら、今まで観てきた他作品のリマスター版上映してくれた方が何倍も良かったです(わたしにとっては)。でも、フィルマの平均スコアがもっと低かったとしても、アタシは自分の眼と心でたしかめたくて、やっぱり映画館には行ってしまったと思う。
それから、音楽のドキュメンタリー映画を映画館で観るのは好きです。ちょうちょうにわかでも臆せず行きたいと思ってる。客層がいつもと違うのもわくわくするし、今作の客層も全然いつもと違うてて楽しかった。てか、それが一番楽しかった。ライブ映像に、監督のナレやらナンやらを挟み込んだこと、アタシは忘れへんからな! そこんとこ夜露死苦♪
*ボブ・マーリーの、自身の深く深くへ降りていくような歌い方。たまらなく好きです♪
〈追記/自分用のメモ〉2024年春
ポリスのテープが終ると運転手はボブ・マーリーのライヴを聴かせてくれた。ダッシュボードにはぎっしりとテープがつまっていた。(略)私は運転手がハンドルを握りながら肩でレゲエのリズムをとっているのを後からぼんやりと眺めていた。
(村上春樹『世界の終りとハード・ボイルド・ワンダーランド(下)』新潮文庫、2023年第17版、236頁より抜粋)