米国。西海岸に位置するオレゴン州、アストリア。寂れた港町。
一軒屋で独り暮らしする若い女性、フランは、オフィスで働く会社員。
物静かな性格で、自分から他人に話しかける様子もない。
小さくもにぎやかな職場で、パソコンに向かい、スプレッドシートにデータを入力する仕事をこなす。
まるで時が止まっているかのよう。会社と家を往復するだけの穏やかな生活を送っているのだが、新人のロバートが現れて、互いに惹かれあうように。
監督は、レイチェル・ランバート。
脚本は、ケヴィン・アルメント。ステファニー・アベル・ホロウィッツ。ケイティ・ライト・ミード。
2023年に公開されたロマンティック・ドラメディ映画です。
【主な登場人物】⚓🏡
[イゾベル]余裕しゃくしゃく。
[ギャレット]白髭。
[キャロル]きっちりお団子。
[ソフィー]カーリー。
[フラン]主人公。
[ロバート]新人。
【概要から感想へ】🖥️🪦
ランバート監督はケンタッキー出身。詳細不明で、30代ぐらいの白人女性。
意外と4作目なんだけど、日本で公開されるのは初? なのかな。
ドキュメンタリー、家族、恋愛、お仕事とジャンルはばらばら……。
まあ、大人しいドラマ寄りの作風は間違いなさそうです。
脚本で参加しているアルメントが2014年に公開した戯曲「Killers」
それを、2019年に脚本のホロウィッツが短編映画にしたものが原作。
舞台俳優たちがオフィスで働いている風で、これほどあからさまにリアリティがない演出も珍しい。
(しゃべりが達者すぎるのよ)
音楽垂れ流しのBロールのうす~く引き延ばした手触りで、見た瞬間に短編原作だと分かるつくり。
……この監督、明け透けな性格で何も隠していない。
🛋️〈序盤〉🍷🍽️
ぼっちサラリーマンの日常。
あるあるネタばかりを山盛り詰め込んである。
何ヶ所か身に覚えがあり「くうぅ」と胸が締めつけられた。
過去の記憶をたどるのに適した映画。
主人公フランの1幕での台詞、ほぼなし。
その分、他の社員がよく喋る。
ときどき眠気覚ましのように、フランの妄想が差し込まれる。
すべてが調和している。
感情の起伏にとぼしく、悟りを開いているかのよう。
社員たちも、「フランはこういう人」として別段気にした様子もない。
環境の効果なのか、社長の人選なのか、衝突もなく、静かに1日を終えられる。
中小企業だと、この手の職場で働いている人多いのでは? と思った。
1人で暮らしているのに、「この生活憧れる」と思えてしまう温もりがあるから、新時代の扉が開かれた気がした。
🛋️〈中盤〉🌉🎞️
職場恋愛。
異分子の登場で、フランの生活に乱れが。
是が非でも喋らせないための工夫も。
本作ならではの独特な恋愛が描けていて、これはこれでほっこりする。
穏やかで、どこにでもありそうな関係。飾らずに欲しいものをそのまま表現してある。
ぼ~とできて、幸せホルモンがでる。
🛋️〈終盤〉🦀🔨
眠気を覚ます開幕のクラッカーと共に、まるで劇団の稽古場へ招かれたかのよう。
けっきょく、ぼっちが恋して、グループに入ってコミュニケーションする物語に。
レトロな映像を含めて、
仲間との集まり、がまだ生きていた頃を懐かしんでいるのかも。
人間性を表現するのであれば、ひとりでいる時に差し込まれる映像は、回想にした方が人物像が掘り下げられるのだが、あくまでもそこは人形のように無機質。
コロナ後の現代への適応を表現してあるのだが、過去に戻りたがっているような、アンビバレントなつくりをしている。
【映画を振り返って】🌲🐜
映画のセオリーに反して、一切の衝突を描いてない。
タイパを気にする、わたしのような現代人に“ゆとり”を与えてくれるオアシス。
うるおいに溢れている。
YouTubeだと「ぼっち飯」「ぼっちキャンプ」「ぼっち旅行」など、普通に楽しめているから、そりゃ映画にしても成立するか、のアハ体験。
話し合い手はいないが、お洒落映画なのでナレーションは一切入らない。その分、主人公の心情は、表情や音楽で表現してある。
ぼっちのお仕事ものでスタートして、実は恋愛ものでした、ってどうなのとは思うけど「ぼっちでも恋がしたい」で、ジャンルとしてはぎりぎり成立するのかな。
(日本だと意見が別れそうだけど)
☎️レトロな現代。
暖かな音楽と、寒々しい町並み。セピア色の職場で、ほぼクリスマス映画。
職場には優しい笑顔が溢れている。
楽し気な雰囲気で、包み込まれるように幸せな時間が流れる。
古ぼけた職場と会話の内容から、時代設定は過去かと思えば、社員が仕事に使っているのは、薄型液晶ディスプレイとディスクトップPC。その隣には大きな固定電話……。
昔と今が交じり合っている。
閑散としたオフィスのデザインや、変に遠いカメラ位置。アンドロイドのように無機質な主人公など、レトロフューチャーのワーク・ライフ・バランスを描いた『セヴェランス』とよく似ている。
☕行間を貴重とした映像表現。
周囲の喋り声は大量なのだが、どれも環境音のよう。フランとは直接関係のない他人の会話。
ひとりで妄想している時も、
願望なのか、恐怖なのか。環境に適応させたいのか、それとも現状を打開させたいのか、まるで分からず、どうとでも解釈できる。
🚶🏼♀️アフターコロナ。
原作の戯曲と短編とはまったくの別物に。
他人の願望を映画にするのではなく、「自分の映画をつくるぞ」と打ち出された個性。
監督の才能の豊かさと、現代への見事なアジャストに驚かされた。
3幕がうるさくて眉根を寄せたけど、とちゅうから人との交わりが刺激的で。
自然と感情移入して楽しめていた。
監督がぼっちを映画館に招待して楽しませてくれているような。
だとしたら、透明なフランは観客を入れるための器の役割を果たしている。ドラゴンクエストの喋らない主人公のように。
フランの妄想の部分に監督の個性が現れているのだろうけど、その辺の分析は次回作にお預け。
いまはどこか懐かしい新作の余韻に浸って。