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かづゑ的のはみのレビュー・感想・評価

かづゑ的(2023年製作の映画)
4.1
前回、同じポレポレで鑑賞した障害福祉サービス事業所に集う人々を描いた「フジヤマコットントン」同様、本作も「取材」ではなく「ありのまま」の姿を歳月をかけて丁寧に寄り添いながらリアルに映し出した作品。作り手側が意図する(期待する)台詞ではなく、心から湧き出してくる飾らない言葉の数々はストレートに観る者の胸に届いた。
ハンセン病を背負いながら現在、96歳になる一人の女性、かづゑさんの前向きに生きているありのままの姿を8年をかけて記録した物語。冒頭、かづゑさんは監督に「患者は絶望なんかしていない。山坂はあるけど、らいだけに負けてなんかいない、そこのところを何とか残していただきたい」と語る。そして入浴シーンも「らいを撮るっていうことは私の身体の全てを撮らなければわからない。いい格好をしていては本物は出ない」とかづゑさん自らの希望で裸のままさらけ出す。病気によって失われた手の指や足がリアルに映し出される。だが、それでも買い物や料理など自分で行う。パソコンのキーボードを打つ器具も自分で工夫し創り出した。病気によって身体は傷ついてもかづゑさんの心は鋼のように強くしなやかだった。「らいだけで心は病んでいない。心は健全なんです」と。
映画の終盤、かづゑさんは自らの人生を振り返って「ちゃんと生きたと思う。みんな受けとめて、私、逃げなかった」「バンザイ」と両手を挙げた。この言葉がもう全てだと思った。心の中で拍手を送った。

また映画は、かづゑさんとご主人の孝行さんご夫婦の物語でもあった。もっとも印象的だったシーン。ペットボトルの蓋をかづゑさんの為に開ける孝行さん、でも孝行さんも簡単には開かない。それでも何とか開けてかづゑさんに手渡す。この何気ないやりとりが、かづゑさんと孝行さんの温かな日常を物語っていて、ジーンとなった。

「この映画はハンセン病を背景にしているが、ハンセン病だけの映画ではない。人間にとって普遍的なことを描いたつもりだ」とパンフレットの中で監督が語っていた。ハンセン病と聞くとニュースで取り上げられる国への訴訟問題などが頭に浮かぶが、本作品は怒りや憎しみといった負の要素よりも、人間の強さ、優しさの方が際立つ、生きることへの賛歌になっていた。
その後、孝行さんが亡くなり、一人になってしまったかづゑさんが心配だったが、上映終了後の舞台挨拶で監督からかづゑさんの近況が報告された。今年2月に96歳の誕生日を迎え、今は水彩画を描いているそうだ。自分で手に包帯を巻きつけて絵筆をとって…新しいチャレンジを始めている。そんな「かづゑさん的生き方」に改めて心からの敬意を。
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