ヨーク

方舟にのって~イエスの方舟45年目の真実~のヨークのレビュー・感想・評価

3.5
1979~80年に発生して当時の世間を大変騒がせた「イエスの方舟事件」というものをご存知だろうか。まぁご存知でもご存じでなかろうともどっちでもいいが、本作『方舟にのって~イエスの方舟45年目の真実~』はその「イエスの方舟事件」を題材としたドキュメンタリー映画である。
最初に作品としての出来を簡潔に書いておくと、本編が始まるとTBSのロゴが出たときに嫌な予感がしたのだが率直に言うとまぁテレビドキュメンタリーという感じで映画として優れてるなぁと思うほどの作品ではなかったですね。たまたま深夜にテレビをつけたらやってるようなドキュメンタリー番組って感じ。まぁ俺がドキュメンタリー映画に求める理想はフレデリック・ワイズマンとかセルゲイ・ロズニツァとかニコラ・フィリベールなのでその辺の作品と比べたらほとんどのドキュメンタリー映画が見劣りしてしまうのだが、まぁそこまで理想を高くしなくても本作はちょっとイマイチな出来だったなという感じではあった。とはいえドキュメンタリーとしては過去のアーカイブや被写体となる人物たちのインタビューやその暮らしから構成していくというオーソドックスなものなので別につまんないとかそういうことはない。ただ、そこはもうちょい突っ込んでくれよなー! と思うところがあったり映像とナレーションと字幕のバランスが過剰だったり欠けていたりというところが気になりはした。まぁでも「イエスの方舟事件」から45年が経ち、様々なメディアの取材を断り続けてきた彼女たちの姿を見られることができるというのは、それだけでかなり貴重なものではあると思うので興味がある人にとっては必見の作品ではないだろうかと思う。
ちなみに俺は当時まだ生まれていなかったのでリアルタイムで「イエスの方舟事件」を見知っていたわけではなく、後になってからビートたけしが千石剛賢を演じた実録ドラマ的なやつを見てその事件のことを知った。まぁさくっと説明すると1979~80年にかけて東京の国分寺市で10人の女性が相次いで失踪したのだがその失踪先というのが千石剛賢が中心となるイエスの方舟と呼ばれる集団であったのである。彼らは一つ屋根の下で共同生活を送り聖書の勉強会などを開いているのだという。その怪しさ満点な状況から彼らは新興宗教的なカルト集団で女性たちは洗脳されて連れ去られたのではないか、また失踪したのが若い女性ばかりであったことから千石剛賢によるハーレムが形成されているのではないかということがマスコミによってセンセーショナルに報じられたのである。それが大きな騒動となり警察も介入して裁判へと発展していったが証拠不十分により千石剛賢は不起訴、結局女性たちも自分たちの意志で家を出て共同生活を送っていたのだということになりやや乱暴に言ってしまうとそれぞれの家庭の問題としか言えないところに落着してしまった、というのが「イエスの方舟事件」の大まかな流れだ。
本作はそれから45年が経ち現在福岡で往時と変わらぬ(といっても現在は当時と違ってマスコミが騒ぎ立てたりはしないが)共同生活を送っているイエスの方舟のメンバーたちの姿を映した映画というわけである。ちなみにイエスの方舟の主催者であり一連の出来事の最重要人物である千石剛賢は2001年に他界しているので本作には過去のVTRでしか出演しない。
俺が本作で観たかったのは、千石剛賢に付いて行った女性たちの当時の状況で、それはまぁインタビューも含めてそこそこは語られていたのだが十分とは言えずに上記した“もっと突っ込んでくれよ”という部分はそこのことであった。だって気になるじゃないですか、当時まだ二十代くらいの女性たちがなんで妻子持ちのおっさんが説く独自解釈の聖書の勉強会に通うようになり、自身の生活を捨ててまで共同生活を送るようになったのか。すでに既婚者だったのに夫を捨ててイエスの方舟に入った人とかもいるんですよ。何でだろう? って思うよね。まぁその辺は本作でもさらりと触れられてはいるのだが、どうも彼女たちに共通しているのは自分が歩んできた人生は本当に自分が欲していたものではないというような認識だったように思う。親子関係が上手く行ってなかったり、何となく結婚したけど生活に空虚さを感じていたり、当時最初にイエスの方舟と接触したときはまだ高校生で渡されたアンケートの紙面に「あなたの人生に愛はありますか?」みたいな(正確には忘れたが)普段は日常の会話で交わすことがないような質問に衝撃を受けて興味を持ったというようなことであった。それらはまぁぶっちゃけ新興宗教が信者を獲得するための常套手段であったりハマってしまう典型的なタイプの人たちだったりするとも思うのだが、面白いのはイエスの方舟という集団は宗教法人ではなく、あくまで聖書の勉強会であるという部分である。現在会の代表を務める千石まさ子は「私は宗教が嫌い」とまで言ってのける。
いやでも実質的には宗教団体でしょ、と思わなくもないのだがイエスの方舟という集団には特に宗教的な教義というものはなくいわゆるお布施のようなものもない。作中で言われる集団内の決まり事としては、結婚した者は共同生活からは抜けて生活してもらう(ただメンバーから外れるということではないみたい)ことと毎週決まった日に聖書の勉強会を開くということと私有財産を持たない(流石にお小遣いレベルで自由に使えるお金はあるだろうが)ということらしい。特に気になったのは私有財産を持たないという箇所で、共同生活に使われている住宅(千石剛賢自身が大工仕事をして建てたらしい)も数年おきに名義人をメンバー間で順番に交代していっているという徹底ぶりなのだという。それは確かに宗教団体というよりも私有財産という概念を排除し平等な労働という名の奉仕を原理とする共産主義的な生活共同体と言った方が正しい集団ではないだろうかと思う。そういう意味では確かに宗教というものからはかけ離れていると言えるだろう。共産主義自体が宗教的じゃないかという意見もあろうが、別に彼女らは共産主義を標榜しているわけでもなく結果的にそのような生き方をしているように見えるというだけなのでその指摘も的外れであろう。
そこが本作を通して観えてくる非常に興味深い点でしたね。それを踏まえるとさらに面白く感じられることがあるのだが、俺は千石剛賢がイエスの方舟のメンバーから“おっちゃん”と呼ばれていることは知っていたが、そこも凄く示唆的というか上記したイエスの方舟という集団の骨子を指し示していることだと思うんですよね。だって他ならぬ実の娘が「おっちゃんはおっちゃんであり父と思ったことはない」って言っちゃうんですよ。これは本作で初めて知ったし、ちょっと蒙を啓かれた感じがした。千石剛賢は父ではなく“おっちゃん”としての神という存在だったのかと思ったんですよ。父とおっちゃんという、そのニュアンスの違いというものにはかなり重い隔たりがあるのではないかと思う。おそらくだが、千石剛賢が父としての神ならきっと彼女たちは彼について行かなかったんじゃなかろうか。高度経済成長の幕開けとなった神武景気(神の名を冠しながら実態は朝鮮戦争による特需だが)から始まり戦後30年以上が経って信じられないほど急速に経済が成長して、大多数の人間がその利益を享受できる正しい生き方のモデルが提示されてそれが信じられていた時代に、そういうレールの上では生きることができなかった女性たちが出会ったのが厳格で正しい父ではなくて気さくなおっちゃんが示す道だったというのは本当の意味で彼女たちの救いになったのではないだろうかと思う。ちょっと異様さを感じるほどに彼女たちが結束していることと、イエスの方舟という集団の主要なメンバーが女性であるということはそこにも理由があるんじゃないかなと思いましたね。
まぁそういう感じで興味深い映画ではありましたよ。ドキュメンタリー映画としてはイマイチとも書いたが、かなり重要なインタビューが収められた作品ではあると思う。あと、最後にこれはちょっと書いておきたいのだが、本作には元サンデー毎日の鳥越俊太郎が当時のことを語る体で出演しているのだが、正にマスコミからのバッシングの嵐に遭っていた当時の彼女らを都内の旅館に招いて自身も共同生活をしながら取材をしたことがあるらしいのだが、その旅館が産経新聞を取っていたので「こりゃイカン!」と思って即座に宿を替えたという逸話を嬉々として語っていたのがすげぇ面白かったですね。ジャーナリストとしての評価はともかく、やっぱ面白いおっさんだなと思ってしまいました。いや別に産経取っててもいいだろ!
まぁそんな感じで作りの稚拙さはあれど見どころはある映画でした。興味があれば是非、です。
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