映像観し者

トラペジウムの映像観し者のネタバレレビュー・内容・結末

トラペジウム(2024年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

高山一実氏がアイドル時代に上梓した小説を原作としたアニメ映画。
アイドルを夢見る女子高生東(アズマ)が、アイドルになるために地元の可愛い女子高生と繋がりを作り、ついにアイドルになるが……という物語。

アイドルになるためなら嘘をついて取り入って相手と友人になり、デビュー後の話題作りのためならボランティアもするし、テレビに出るために地元テレビ番組を先回りする。そんな夢のために手段を択ばない主人公の悪い笑顔を前半は堪能することになり、この非凡な造形が本作の評価を分けるところだろう。さらに後半では四人組アイドルグループとしてデビューするが、主人公以外の三人にとってアイドルは天職ではなく、東に導かれて偶然なってしまったもので、次第にその厳しさに心をすり減らしていく。そしてついには破綻が訪れる。
この展開を指して主人公がサイコパスだとかいう評価もあるが、そうだろうか?
独りよがりは幼いうち誰にもあるものだし、目標を追ううちに目標ではなくその過程が目的化してしまう視野狭窄も人間なら普遍的に陥る問題だ。そしてそんな幼さと、それが原因となる喪失、そして痛みと共に自分の責任と人生の意義を見つけて前を向く物語を指して青春と呼ぶのだと思う。そういう意味で、私は本作を直球の青春映画だと思った。
では何がこの映画を歪めているかと言えば、それは彼女たちの造形ではなく、これが現実のアイドルの物語だという点だろう。
そんな少女の若さを、幼さを一方的に消費し、私生活すら制限し、最後は耐えられなくなれば放棄する、そんなアイドルという産業構造こそがキャラクターたちに大きな傷を与えると同時に、しかしこの構造を批判する物語の軌道にはできない。それこそがこの映画の歪みの根本だろう。
しかし本作は大きな傷(くるみは最悪人生を失っていたし、亀井のデジタルタトゥーは東のファンが過去を調べるたびに出てくるだろう。最悪だ。)を負う原因となるアイドルについては無批判だ。その代わり、かなり強引に主人公に訪れる赦しによって物語は完結する。
この演出自体はけっこう良くて、東ゆうという少女の視点でミクロに観れば、本作は致死量の青春を浴びることができる良作青春アニメとなっている。
しかしそこまでしてミクロな視点でこの物語を描かなければならず、そしてこういう物語がアイドル声優と現役アイドルを使ったアイドルアニメとして上映される状況は、ちょっと引いて観ると怖いところがある。

東をサイコパスと呼ぶが、彼女がそうなった原因はかなり明確に描かれている。オーディションに全て落ちた過去、十代の狭い世界においてその絶望がどれほど大きいか考えればクズではあるが、サイコパスってわけではないだろうと思う。
この東の過去と計画の動機が明らかになるシーンは、工藤との対比と相まってかなりいい感じである。ここが一番、このアニメのいいシーンだったと思う。ラストの工藤と東のそれぞれの姿をもってして、失い傷ついてもアイドルになった少女の成長が見えて、二人の造形と配置はかなりいい。

大きな出番となる大人が「寄り添う親」「アイドルを消費する人間」の二種類なのもこの映画の怖いところだ。アイドルから見て大人がその二種類だとするとぞっとする。

老人役が内村光良という不思議なキャスティングなのだが、ウッチャンは年齢に対して声質がかなり若いのであのキャラデザの老人だと違和感があった。その違和感によって、隣二人の老人のキャストをああしても成立しえたのかもしれない。
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