一見会話劇だがよく見ると話しながらめちゃくちゃ歩いている。落ち着いて話そうとすると決まってキーラン・カルキンが歩行を誘発するのだ。
降りる駅を寝過ごして、無賃乗車で戻ろうとする際のスリリングな歩行。駅員に捕まらないように、スライドドアのボタンをリズミカルに押しながら列車内を移動していく時間は大変充実している。
あるいは、名の知られたユダヤ人の墓前で解説を始めるガイドに対し、「単なる説明は冷たい感じがするから、石を探して供えよう」と提案し、ツアー全員で散らばって石ころを探し始める場面。多くのシーンで歩くことに重心が置かれていて思わず唸る。
なおかつ、歩く動作とバックに流れるショパンが信じられないほど噛み合っていて、絶大なヒーリング効果を生み出している。この心地よさはちょっと他では得がたい気がする。
加えて、パレスチナ組織によるイスラエル人殺害テロを今わざわざほじくり返す『セプテンバー5』に対して、ユダヤ人としてのアイデンティティは肯定しつつ、その迫害の歴史を辿ることで緩やかではあるものの今起こっていることへの葛藤を感じさせるこの映画の態度がいかに誠実であることか。もちろん戦争を匂わせるにしてはやんわりすぎるのだろうが、支持するなら断然こちらだろうと思う。