教育現場は気づけば規律と協調性を重んじる場所となっている。画一的な身だしなみと行動を求められ、はみだすことを認めてはくれない。
それは生徒だけではない。教師も同じだ。高校生らしく。先生らしく。
校則も、補習も、意味のないことをさも意味のあることのように理屈をつけているが、誰も意味なんて見出だせない。日々の理不尽さによって、子どもたちは小さなモヤモヤを抱えていく。来る日も来る日も飛んできて溜まっていく、砂埃のように。
えも言われぬ葛藤や、他人への憧れからくる嫉妬を武器に、ほとばしる情熱を注いで自らのモヤモヤを吹き飛ばそうとする。
思春期とは、どうしてあんなに1つのことに打ち込めるのだろう。惹かれる理由は些末なことかもしれないけれど、その体験はともすれば一生を左右する。
笑われることを顧みず自ら踏み出す勇気はいつだって清々しい。