そーた

カンダハールのそーたのレビュー・感想・評価

カンダハール(2001年製作の映画)
3.2
シュールの条件

アンドレ・ブルトンという人がシュルレアリスム宣言というものの中でシュルレアリスムを定義したそうです。

正直シュールの意味は今だに分かりませんが、シュールなものがどんなものかは自分なりに少しずつ分かってきた気がします。

この映画。
僕にとってはシュールな作品でした。

自殺をするという妹からの手紙を受け取った女性が、故郷であるアフガニスタンへ単身向かう話。

主人公はアフガンからの亡命者。
祖国へ戻るという事は死の危険を意味します。

正規のルートからのアフガン入りは出来ません。

トラックを乗り継いで少しずつ妹のもとへと近づいていきます。
その道々でアフガンの置かれた悲惨な現状を改めて目にすることになります。

僕には、彼女の西洋化された雰囲気がアフガンでは異質でした。
その異質さを伴ったアフガンという異国の地の様子を眺めたとき、それをシュールと感じたんです。

義足がパラシュートで降りてくるシーン。
シュールを象徴するようなシーンでした。
地雷で足を失ったアフガンの人達がそれを必死に追いかけます。

その光景を西洋化されたアフガン女性が目撃する。
さらに僕たち観客がそれをメタ化するわけです。

僕たちと画面の中の人々との間に決定的な線引きがされた瞬間でした。

画面上での人々の必死さ。
この必死さがシュールの一つの条件のような気がします。

作為のないリアルさが異質さを伴って、
それを第三者がメタ化する。
その時に初めてシュルレアリスティックと呼べるのかもしれません。

そして、ラスト。
ブルカを被る主人公のシーン。
アフガン女性の閉塞感を表現しているかのようでした。

その閉塞感を差別と取るか、シュールと取るか。

観る人と映画との距離感によるんだと思いました。
映画に近づきすぎれば、シュールさは立ち消える。

シュールさとは対象との距離感にもよる。
ブルトンさん、その距離って一体どれくらいなんでしょう?
そーた

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