カンダハールの作品情報・感想・評価

カンダハール2001年製作の映画)

SAFAR E GHANDEHAR

製作国:

上映時間:85分

ジャンル:

3.7

「カンダハール」に投稿された感想・評価

kalitan

kalitanの感想・評価

3.0

このレビューはネタバレを含みます

カナダ在住の女性と現地人に混じって暮らす黒人のアメリカ人男性。二人が出会って正体を明かすシーンは、宇宙人の中で秘かに生きる地球人のよう。あるいは逆にディストビアの地球人の中にいる過去から来た人のようにも思える。それくらい世界が異なり人間の成分すら違うと感じられるということ。
しかし彫りの深い西アジア・アーリア系の人たちは、いったん移民して西欧化すると、日本人には見分けがつかなくなるんだなぁ、、、。つらい映画である。
McQ

McQの感想・評価

4.5
5分に1人が死ぬ国、アフガニスタン。

ナファス役のニルファーパズィラの実体験を基にしたフィクション。

妹を残してカナダに亡命したナファスは妹の自殺を防ぐ為、カンダハールへ、、リミットは2日間。

義足を求めて医療キャンプに殺到する手足無き男たちの姿には言葉を失う。(現在アフガニスタンには1000万個もの地雷が敷設されているとか、、)

そして突如走り出す男たち。
彼等が空に見上げるものとは??

マフマルバフ監督のスポットの当て方はやはり一味も二味も違う!

続きが超絶気になる終わり方は消化不良だけど、それがまた安易には辿りつけない過酷な道のりを物語る。

「私はサヒブ、彼女はナファス、私はサヒブ、彼女は、、」

耳から離れない。
netfilms

netfilmsの感想・評価

3.9
 アフガニスタンからカナダに亡命した女性ジャーナリストのナファス(ニルファー・パズィラ)は、ある日、地雷で片足を失ったため祖国に残した妹から、20世紀最後の皆既日食の前に自殺するつもりだという絶望の手紙を受け取った。日食まであと3日、ナファスはカンダハールの街に住む妹を救うため、イランからアフガニスタンの国境を越える。彼女はイラン国境のアフガン難民で神学校を放校された少年ハク(サドュー・ティモリー)、ソ連と戦うためにアフガンに来ながらも今は住民の診療を続けるブラック・ムスリムのアメリカ人サヒブ(ハッサン・タンタイ)らと交流しつつ旅を続け、タリバンの教育、女性差別に飢餓と貧困、地雷問題など、アフガニスタンの厳しい現実を目の当たりにしていく。冒頭の空撮シーンに目を奪われる。一面砂が拡がるアフガニスタンの国境沿いには丘陵な砂地が幾重にも連なる。地上には片足あるいは両足を失った人たちが松葉杖を掲げてヘリに向かい、何やらアピールしている。この描写が後半部分の伏線として重要な意味を持って来る。

 主人公であるナファスは妹の自死するという報せを受け、妹に自死を思い留まらせようと、亡命したカナダからアフガンへと向かう。アフガニスタンの国境を越えるパスポートが取れず、かの地へ向かうには徒歩で砂漠地帯を越えるしかないのだが、ナファスの意思は固い。最初はイラン人の第四の妻を装い、アフガニスタンの国境へ向かうもイラン人一家は身の危険を感じ、イランへと逃げ帰る。アフガニスタンにおいては、イランのチャドルよりも厳格なブルカという衣装を身に纏っている。女性たちは夫以外の男性に肌を見せることを許されないため、ブルカのような完全武装の衣服をつけることを課されているのである。まるで日本の虚無僧のような異様な風貌が目に焼き付いて離れない。それ以上に異様なのが、患者が医者にも直接かかれないことである。彼女たちは自分の子供や身近な男性を介してしか、男性医師と会話することを許されない。仕切りのように張られた真っ黒な布から、かろうじて目や口や耳が見えるくらいの穴が開いており、そこから医者は病気を判断するのである。この異様さに思わず息を呑む。

 中盤に出てきた赤十字の義足引換所で起こるやりとりのシリアスな現実は遠く離れた先進国に住む我々にとって、真にセンセーショナルな場面となる。1年がかりで作ってもらった義足が金儲けのためだけにに彼らを騙す者の手に渡り、本当に必要な人の手には届かないという皮肉な状況をマフバルバフはセミ・ドキュメンタリー形式で描写する。クライマックスの花嫁を祝う隊列のブルカが異様な雰囲気を伝える。拘束されれば間違いなく射殺される緊迫の場面で、果たして彼女は無事脱出出来たのか否か?いずれにせよ、彼女がカンダハールに入るまでは、今後も幾多の困難が予想される。現在もアフガニスタンから隣国イランには、毎年多くの難民が政情不安のため亡命している。ヨーロッパに流入するシリアからの難民の問題も、根っこの部分はほぼ同じである。彼らは国に絶望し、生きるために海を渡り、無情にもその船の水難で命を落とす。あのむごたらしい現実は今作から14年を経てもまるで変わらない。そのことに対し、もはや我々も無関心ではいられない。
良くも悪くも映画っぽくなく、ドキュメンタリーっぽい作品

義足が降ってくるシュールなシーンや、道中に出くわす変な奴、いい奴、悪い奴など中東っぽくて旅してるような気分になる

ただ、あれだけ妹に会うとコミットしてるんだから最後はちょっと納得できなかった
No.953[義足にパラシュート頼み…オープニングで全部終わる映画] 50点

想い出記録。「ギャベ」を見て、マフマルバフ作品は初だと思っていたのだが、思い返してみれば本作品を鑑賞していた。それも2ヶ月前。

内容は確か、月食の日に自殺するといった妹のもとカンダハールに赴こうと、先に亡命していたジャーナリストの姉が旅をするという話だった気がする。ただただ砂漠を歩くだけのシーンが多かった覚えがある。最後はカンダハールに辿り着く前に終わったぽいから、後味は微妙だったんだろう。変な映画作るんなら後味くらい良くしてくれよ。

義足にパラシュートつけて飛ばすシーンが何回か出てきたので、マフマルバフはビジュアル先行型の匂いがする。ビジュアル先行型は”画はキレイだけど脚本ボロボロ”というパターンが非常に多いので、まぁそういうことなんだろう。「ギャベ」はその”画”すらパラジャーノフ頼みだったが、本作品は自分で考えたっぽいので10点あげた。
yadakor

yadakorの感想・評価

4.0
アフガンですら食べ残すなって先生が注意してるのなんかウケたな
欧米人がブルカは女性の権利を迫害してるという考えを強要するのはキリスト観に基づく独善に思える
子供も大人も教育を受けていないからテロリストでなくても本当の意味で民度が低いので関わりたくはない国だな、と思ったね
たまたま古本屋でマフマルバフ監督がこの映画製作後に出版した『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』を見つけた。地雷についての部分だけでも暗澹となるこのレポートの冒頭にマフマルバフ監督は「この苦い題材があなたの心地よい生活に無関係だと思うなら、どうか読まずにいてください」と書いている。
以前そのアフガンあたりを取材したドキュメンタリー番組で、人形爆弾により全身大やけどを負った子どもが薬品もなくただ水洗いするしかないという場面を観た。激痛に絶叫し、のたうちまわる子どもと、我が子のそばで立ち尽くすしかない父親の形容しようのない表情はこれまで観たあらゆる映像の中で最も怖ろしいものだったと今も思う。カナダの撤去チームがあまりの酷さに諦めて帰ったという無数無秩序に仕掛けられた農地の地雷は、レポートから20年近く経ちタリバン政権が消えた今でも農民や子どもの手足を吹き飛ばしているんだろう。
そもそもタリバンとは大国の利権争いが生み出したものであり、俺らはたまたま大国に媚び続ける日本に生まれただけとも言える。この映画はそんな俺らの心地よい生活とは関係ないようだけど現にある世界への、この心優しい監督らしい詩情と祈りの爆弾が炸裂しまくった傑作だ。
アフガン周辺の砂漠を飛ぶ飛行機から、義足が括り付けられた無数のパラシュートが落下する。シュルレアリスム映画の一場面のようだが、テントから地雷で足を吹き飛ばされた男たちが松葉杖で必死に走り寄る。

次の日食に自殺すると告げてきた妹のもとへ急ぐ女性が目にする
アフガンの貧窮、差別。

詩的な映像が捉える人の浅ましさ。
敵を憎め、殺せと暗唱させる教師。
遺体から盗んだ指輪を執拗に売りつける子供。
嘘を並べ立てて義足を持ち去る疵面の男。
女性の顔を覆うグルカが本当に隠しているのは、荒廃した人心ではないだろうか。
色鮮やかなグルカからは狭く小さな視野しか与えようとせず、
命に等しく価値を見出せない
見捨てられた土地で
居場所を見失った元兵士のアメリカ人が残り続ける理由。

イルマス・ギュネイ「路」、
マルジャン・サトラピ「ペルセポリス」、
そして本作に出会えたことを感謝する。
マフマルバフの著書にはこう書かれている。
「もしも過去の25年間、権力が人びとの頭上に降らせていたのがミサイルではなく書物であったなら
無知や部族主義やテロリズムがこの地にはびこる余地はなかったでしょう」

日食が終わっても、この物語は終わらないのだろう。今も。
ブルカを被っていてもその下は綺麗に着飾っている。もしかしたら男の人かもしれないし地雷で手足が無いかもしれない。

様々なブルカをまとったかのようなアフガン社会の現状をのぞくどこかクセになる雰囲気の作品。

好きな台詞が沢山。
ぶぶこ

ぶぶこの感想・評価

5.0
イランのモフセン・マフマルバフ監督のアフガンを舞台にした映画です。ニュースでも何回か取り上げられたので、ご存じの方も多いと思います。
ストーリーは、今はカナダに亡命しているアフガン出身の女性が、一人アフガニスタンの街カンダハールに残された妹(地雷で足を失っているという設定です)から「私はもうこの社会に絶望したので自殺する」という手紙を受け取り、妹を救うべくカンダハールに侵入を試みる、というものです。その主人公ナファス(現地語で「呼吸」という意味だそうです)はそのカンダハールへの道程で様々な人に出会います。国連職員、難民キャンプ、強盗、マドラサ(イスラーム神学校)を放校になった少年、アメリカ生まれのムスリムで、アフガンに志願兵としてきた経歴を持っている黒人(この人が過去に本当に暗殺事件を起こしたらしいということで、話題になりました)、もらった義足を売り飛ばそうとする小ずるい男・・・。彼女はこれらの殆どをブルカ(頭からすっぽりとかぶるアフガンのベール)越しに見ることになります。そして、アフガンはいわば「何重ものブルカ」をかぶらされた社会であることを知っていきます。
最初は「彼女はいつカンダハールに着くことが出来るのか、妹を助けられるのか」という方に興味が向くのですが、次第に物語はそちらには興味を無くし、彼女が道ばたで会う無数の人、色とりどりのブルカに包まれた女たちに興味を移してしまい、最後はある意味で驚く終わり方をします(ここで喋るとネタばらしになるので書きません)。
でも、それは後で考えると当然と思うようになりました。主人公がカンダハールに着いて妹と再会できたとしても、そこから国外に逃げるのは殆ど絶望的でしょう。「スパイ大作戦」をマフマルバフは描きたかったのではないでしょうから。
それよりも彼が描きたかったのは、やはり「ブルカ」の象徴される「閉塞感」だと思います。主演女優が言っているのですが、「ブルカは偽りの安心感を与える」と鋭い指摘をしています。ブルカをかぶれば、男の(好色な)視線を気にしなくても良いわけですから、ある意味で安心です。これは、18世紀初頭にイスタンブルに滞在したヨーロッパ女性が「ヴェールは匿名性の自由を与える」と言ったことを彷彿とさせます。でも、その安心感はやはり偽りに過ぎないのです。そして悲惨なことに、この「偽り」にすがらなければアフガン女性は生きていけないのです。
マフマルバフ監督は、世界がタリバン支配下のアフガニスタンに注目するきっかけとなったバーミヤンの石仏破壊についてこのように語ります。彼の著書『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない、恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室、2001)から引用します。何度読んでも、彼の詩的表現にはうならされます。

「ついに私は、仏像は、誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は、恥辱のために崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人々に対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ」

彼のこの逆説的な表現の前に、我々は恥じ入らざるをえないだろうと思います。
 「世界のどこよりも神の名が語られるというのに、神にさえ見放されているかのよう」(マフマルバフ)なアフガニスタンを描いたこの映画、やはり一見の価値有りです。
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