三四郎

世紀の合唱 愛國行進曲の三四郎のレビュー・感想・評価

世紀の合唱 愛國行進曲(1938年製作の映画)
3.5
「愛国行進曲」を知ったのは大学1年の7月だった。私はその頃、早稲田の国際学生寮WISHに住んでいたが、同じ寮生のY君がギターを弾きながら「愛国行進曲」を歌っていた。メロディは勿論素晴らしいのだが、その歌詞に驚かずにはいられなかった。何よりも「正しき平和うち建てん 理想は花と咲き薫る」や「断固と守れその正義」の歌詞に衝撃を受けた。

高校では日本史と世界史を選択し、歴史好きで日本人であることを誇りに思っていた私だが、満州事変から終戦までの日本を”軍国主義”だと一刀両断し、何も考えず否定的にしか観ていなかった。そんな私には、当時の日本視点での「平和」「理想」「正義」があったという当たり前の事実に衝撃を受け、日本人はその「平和」「理想」「正義」を信じて欧米列強と闘ったのかと思うと、なんともやりきれないというか哀れというか健気(けなげ)というか…心が揺さぶられた。
ちょうどその時期に、大学の歴史学の講義やE.H.カーの『歴史とは何か』(岩波新書)を読み、教科書に記されていることは膨大な事実の中から取捨選択された事実の羅列であり、決して”真実”ではなく「歴史=物語」に過ぎないということを知った。

この映画は軍艦マーチで始まり、日本海海戦の歌が流れ、惜別の時は蛍の光。主人公が隠遁生活を送るなか、街では宴会の歌や恋愛を歌った流行歌が流れ、カップルは楽しそうに歩いて行く。それを見て「最近の若者は…軟弱な…」と彼は思ったのだろうか?あそこの演出は中途半端に思えた。おそらく監督もこの文化を否定したくないが、否定的に描かねばならぬと揺れていた気がする。何故なら後に『支那の夜』を世に送り出した伏水監督なのだから。

倒れた時、指揮棒が道に転がっていた。出征見送りは、「日本陸軍」の歌、”天に代わりて不義を討つ”が流れている。ベルリンの行進シーンは素晴らしかった。戦勝記念塔を見て懐かしくなった。ナチス式敬礼と歓迎ムードを映し出している。これはニュース映画か何かを挿入したに違いない。ドイツにはナチスの歌、イタリアにはファシストの歌、日本にも何か歌を作らねば…!という話なのだ。最後はこれでもかというぐらい、「愛国行進曲」を流しまくる。当時のモダンで荘厳華やかなりし帝都と人々を映し出しており、それだけでも興味深かった。

映画の話から脱線するが、私は自分自身を愛せない者が他人を愛することはできないと思っている。それと同様に、自分の生まれた国を愛せない者が他国を愛することはできないと思っている。
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